第93回「心に咲く花会」他者の苦しみに 寄り添える 〜 だれにでも いつでも 〜

第93回「心に咲く花会」

他者の苦しみに 寄り添える 〜 だれにでも いつでも 〜

「映画『がんと生きる言葉の処方箋』万座温泉日進舘がん哲学外来カフェin万座」 代表 市村雅昭氏の「言葉の処方箋 YouTube インタビュー」https://youtu.be/g_G4YU-WO6wが送られて来た。万座に行きたいものである。

バーチャルの『樋野動物園』が創立されたのは、2019年10月13日とのことである。 創立者でもある 「ゴリラ🦍 & パンダ🐼」によって、10月13日が、『樋野動物園 創立記念日』に定められる予感がする。 歴史的大事業となろう。『樋野動物園』の理念は「個性と多様性」である。 地球上には、多種の生物が生存している(添付)。まさに「心を一つにして、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい」(ペテロI  4章8節)の実践である!「創造的想像力=Creative Imagination」(大江健三郎)が思い出された。「いかに他者の苦しみに寄り添えるか」という「創造的想像力」である。

今秋、新刊『樋野流 人生哲学』(案)が、出版されるようである。 ポイントは、1)「姿勢」 2)「みだりに 他人に干渉しない」 3)「お節介ばかりして、締まりのない歩み方をしない」 4)「うわさ話や 余計なお節介 をしない」 5)「実存的空虚の克服」であろうか! 乞うご期待である。 「あなたがたのうちにある希望について 説明を求める人には、だれにでも いつでも 弁明できる用意を してなさい」(ペテロI 3章15節)。「胆力と器量」の試練である。

第90回『一億本の向日葵』~痛みという優しさのかけら~

第90回『一億本の向日葵』

~痛みという優しさのかけら~

私の住む松本でもさわやかな天気が続いています。皆さまはいかがお過ごしでしょうか?息子の小学校でも分散登校が始まり、何となくですが、今まであった出口の見えない不安感は和らいできているようですね。昨日、さり気なく開催したオンラインでの語り合い。参加下さった方の顔ぶれから、気持ちの吐露というよりも、私たちが今後向き合うことになる普通の生活の中での新型のウィルスとの共存や、心構え、在り方の話へと自然と移行していきました。医療現場と世間の自粛緩和への意識の差や、溢れる情報の取り扱い方、具体的な予防の工夫、国の視点、経済の視点、個人の視点、持病のある方の視点、健康な方の視点、罹患された方の視点、ご遺族の視点、その他にもたくさんの視点が絡み合っているコロナショック。視点を増やせば増やすほど、答えの出ない状況に、私の頭の中も混乱しました。視点の違いに加え、不安や恐怖の感じ方も度合いも、人それぞれであることも、さらに複雑さを感じる大きな要因となっていると思います。そのような状況下でのメディカルカフェ再開について、私を含め、運営に関わる方々はみなさん、頭を悩ませていらっしゃいました。

実は、私はこういった答えの出ない事柄について、いろんな方と共有しながら、考え合う場が好きです。以前にも、メディカルカフェの中で、ヤドリギの寄生やカッコウの托卵について、色々な視点を通して語り合ったことがありました。一人では持ち得なかった視点や考え方に触れ、相対する立ち位置から見える景色を想像できること、視点を変化させることで絶対的な正解が存在しえないことを、知ることができました。あっちにいったり、こっちにいったり、自分の視点を自由にさせながら、壁にぶつかり、痛み感じ、自分の中を広げていく。今回のコロナショックのように「これだ!」という答えが出ない問いに、ある程度の結論を出さなければならない時、視点が多く、理解が深いほど、痛みや苦しさを伴いますが、そこから配慮へと繋がる想像力と冷静さ、勇気が生まれるのではないかと思います。“理解できるがゆえの痛み”と“理解不足な自分への痛み”。多くの人が持つその痛みそのものが、大きな優しさのかけらだと思います。

ひまわり&パンダ担当🌻齋藤智恵美

第92回「心に咲く花会」『人生から期待される生き方』 〜 『あなたは そこにいるだけで 価値ある存在』 〜

第92回「心に咲く花会」

『人生から期待される生き方』 〜 『あなたは そこにいるだけで 価値ある存在』 〜

コロナショックの日々である。 そんな中、野澤和之 映画監督から、『映画「がんと生きる言葉の処方箋」ゼネラルプロデューサー田寺さんからの 言葉の処方箋( https://youtu.be/ANwTrwnanbs )』が送られてきた。 既に10作 作製されているので、今回は、第2弾のスタートであろうか! 映画『がんと生きる言葉の処方箋』には、約30名の方が、出演されているので、30作 出来れば、歴史的快挙である。「コロナ疲れ」、「コロナ適応障害」の蔓延化するタイミングに、「光を伴う温かさ」を放つ 第2作目の映画が 制作される予感がする。 本当に実現すれば、歴史的大事業となろう! まさに「もしかすると この時のため」である!

この時期、読書の時間も増えている。 アウシュビッツを自ら体験し「ロゴセラピー」の提唱した 精神科医ヴィクトール・フランクル(1905-1997)再読の時となった。 「ここで必要なのは、生きる意味についての問いを 百八十度方向転換することだ。 わたしたちが 生きることから なにを 期待するかではなく、むしろ ひたすら、生きることが わたしたちから なにを 期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に 伝えねばならない。(ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』)」。また、 『「生きるべき理由」を持っている者は ほとんど「いかなる事態」にも 耐えられるのだ』(ニーチェ)の 言葉も思い出した。 まさに「人生に期待しない。人生から期待されていると考える。」(『人生から期待される生き方』主婦の友;2017年)の 復習である(添付)。

今回は、また、マザー・テレサ(1910-1997)が脳裏に浮かんだ。『そこを 歯を食いしばってこらえ、褒め続けるのです。 そうすると 何が変わるでしょうか。 まず風貌が変わります。 心の中に 嫉妬心があると、いくら 紳士面をしていても 顔に表れています。 3分間褒め続けられるようになると、相手を祝福する気持ちが 表れるようになります。 相手との関係も よくなっていきます。 昔インドで、マザー・テレサに 砂糖を届けた4歳の男の子がいました。 その子は、「マザー・テレサや 貧しい人のために」と、3日間砂糖を食べるのを我慢して 届けたのです。 その子のように、3日間犠牲にしなさいとは言いません。 まずは3分間の犠牲に 努めてください。 人を評価するときは、歯を食いしばって 3分間褒め続ける。 非難はしない。 そうすると次第に、自分も褒め続けてもらえるような 人間に変われるのです。』(『あなたは そこにいるだけで 価値ある存在』KADOKAWA;2016年)(添付)である。 今回は、「人のために 進んで 何かをする」、「丁寧に 生きる」を、具体的に 静思する 深い学びの時が 与えられた。

第89回『一億本の向日葵』~できごとは自分に還るためのもの~

第89回『一億本の向日葵』

~できごとは自分に還るためのもの~

私の周辺でも、取り巻く空気が変化してきたことを感じる一週間となりました。これから少しずつ、人の動きは今までのように戻っていくのだと思いますが、引き続き目に見えない小さな敵コロナウィルスさんへの注意が必要なことは変わりないでしょう。皆さんも感じられていると思いますが、人の動きが今までのように戻っても、私たちの内的な動きはコロナ前と後では変化しています。当たり前の物事が、当たり前で無くなる経験は、それほどのインパクトを与えましたし、物理的な人との距離が精神的な人との距離に、少なからず影響を与えていることも感じざるを得ませんでした。

 「人生は積み上げていくもの?積み減らしていくもの?」

昨夜、夜中に目が覚めて、そんなことを思いました。知識や経験、実績、あとは物理的なものや貯金は積み上げていくもの、または積み上がっていくものだと思っています。それらを積み上げることは良いことであり、それを目標にしてきた人も多いのではないかと思います。私もそうです。その反面、自分が命を終える時には、それらを全て自分の内側に吸収するか、取り外して、自分という存在に還りたいという欲求もあります。私は積み上げたものに、埋もれたまま死にたくないな・・と思いました。ご講演などの中で、樋野先生は“人は病になると、一人の太古の人間に還る”と仰っていますが、私はその言葉を希望として捉えています。そういった意味で、今回のコロナショックを自分の“棚卸し”期間として活用された方々は、そもそも人は“自分”は、存在自体に価値があることを、深いところで理解している、知っているのだと思います。

 社会的にも、個人的にも、このコロナショックは大きな経験です。これを積み上げていく人生に生かすのか、積み減らしていく人生に生かすのかは、国の考え方や、個人個人の立場や価値観によります。今まで、積み上げていく人生が主流であったのであれば、積み減らす生き方“自分に還る生き方”へとシフトチェンジする可能性が出てきたとも言えます。

 私は、できることやできないことに関わらない、一人ひとりの豊かな個性が光りを放つ社会を楽しみにしている一人です。

ひまわり&パンダ担当🌻齋藤智恵美

第91回「心に咲く花会」「表面的なhappy」vs「内から湧き出るjoy」 〜 「大切な存在」(to be) と言ってくれる者の「声」 〜

第91回「心に咲く花会」

「表面的なhappy」vs「内から湧き出るjoy」 〜 「大切な存在」(to be) と言ってくれる者の「声」 〜

コロナショックの自粛の日々である。 穂高で、今は亡き 日野原重明先生(1911-2017) (聖路加国際病院理事長・同名誉院長、聖路加看護学園理事長) の白寿〔99歳〕のお祝いで 講演の機会を与えて下さった 名古屋の医師夫妻から、1954年シュバイツアー博士のアフリカのランバレネ病院に行かれた野村実博士 (1901-1996) の『野村実 著者集』(上・下巻)が送られて来た。 早速、読書の時ともなった。 特に下巻の「医療と福祉」は、現代に生きる内容であり 医療者にとって必読の書であると思えた。 そこには、「ロゴテラピー」(フランクルの提唱)について書かれてある。 対話によって「その人らしいものが 発動してくる」、「ことばというものを通じて 外に出てくる」、「人間の独自性」であろう。まさに、「大切な存在」(to be) と言ってくれる者の「声」であろう。「患者さんの目を見て あげなさい」という「人間学」である。アウシュビッツを自ら体験したフランクルの「希望」(『夜と霧』)は、「明日が世界の終わりでも、私は今日りんごの木を植える」(ルター)行為を起こすものであろう。 まさに、「がん哲学外来」の目指す処方箋でもある。

日野原重明 先生のサイン入りの『平静の心 —オスラー博士講演集』(日野原重明・仁木久恵訳、医学書院)も贈られて来た。 大いに感激した。「医学の座右銘」は、当時、ジョンズ・ホプキンズ大学教授であった オスラー博士(1849-1919)のトロント大学での 招待講演(1903年)の記録である。

(1)「医学以外のことにも関心を持ち、教養を高めよ」

(2)「心から慕える偉人を選び、その書を系統的に読め」

(3)「寝る前に30分を読書に」

は、筆者が若き日に学んだ教訓でもある。

1908年、新渡戸稲造 (1862-1933) は通俗雑誌といわれた『実業之日本』から編集顧問就任の懇請を受け、熟考の末これを快諾し、毎月同誌に寄稿を続けた。 新渡戸稲造47歳のときである。 新渡戸稲造は同誌に、「余は何ゆえ 実業之日本社の編集顧問となりたるか」を書き、その決意の理由を五つ挙げている。 その五番目に「営利第一でなく、読者の利益を想い、個人の幸福、社会の発展に貢献しようという ジャーナリズム観に 共鳴する」と述べている。「具眼の士」の種まきをするのが 出版社、雑誌の使命であると考えられる。当時、象牙の塔に閉じこもる 狭量の学者から 通俗雑誌とか通俗講演とかの批判を受けた 新渡戸稲造は、理想と確信を堅持して、「我輩は専門センス(専門的知識)は教えない。コモンセンス(常識)を教えるのだ」といって、できるかぎり「陣営の外」に出かけていった。  まさに「見る人の 心ごころに まかせおきて 高嶺に澄める秋の夜の月」の心境である。 その後、この通俗と称された文章から、『修養』、『世渡りの道』、「自警録』などの名著が出たことは周知のごとくである。 すべて摂理の手の中にある。

内村鑑三 (1861-1930) は、札幌農学校で新渡戸稲造と同級生であり、学んだ水産学を生かすべく 国に奉職したのち、アメリカに留学し、帰国後、いくつかの学校で教鞭をとるが、いわゆる「不敬事件」が社会問題化し、一方、自身も病を得、教壇から去ることになる。 しかし 不遇をかこつ何年かの間に 数多くの著作、論説を発表し、これらは教育や文学、芸術などを幅広い分野に 影響を及ぼした。ちなみに この時期に書かれた『Representative Men of Japan』(『代表的日本人』)は、新渡戸稲造の『武士道』とならぶ、世界のベストセラーになった。 こののち、『萬朝報』に招かれ 英文欄主筆となるなどジャーナリストとして活躍し、足尾鉱毒事件にかかわりを持ち、日露戦争に際しては非戦論を貫き、内村鑑三は 常に平和な社会を求める 言論を展開している。 さらに聖書研究を 目的とする月刊雑誌「聖書之研究」(1900年)を創刊、多くの人々に 影響を与えたことは よく知られている通りである。

人間は、自分では「希望のない状況」であると思ったとしても、「人生の方からは期待されている存在」であると実感する深い学びの時が与えられている。「表面的なhappy」vs「内から湧き出るjoy」の違いの考察の時でもある。

第88回『一億本の向日葵』 ~繋がりは自分の中にある~

第88回『一億本の向日葵』

~繋がりは自分の中にある~

私が生まれ育った場所は、標高1200メートルの乗鞍高原という観光地ですが、桜やつつじ、タンポポ、色々な花が咲くこの時期に、こんなにも車が通らず、静かであったことはありません。ですが、何事もなかったかのように、植物たちはきれいな花を咲かせ、甘い香りを漂わせています。

近くを通るととても甘い香りがします

昨日、長野市でがんカフェを開催されている長野朝日放送の中村あゆみさんからお声がけ頂き、zoomを使ってのオンラインインタビューをして頂きました。カフェを運営する側同士、お互いにんーんーと唸りながら、色々なことをお話しました。もちろんスッキリとした突破口は見えないままでしたが、ちょっとした気づきがありましたので、今回はそのことについて書きたいと思います。

オンラインでのカフェを開催したとしても、結局は一部の方としか繋がることができません。そのようなことがはっきりと輪郭を表したことにより、今後インターネットは今までよりももっと身近な存在になっていくのだと思いますが、それ以外に人と人は“繋がり”を感じることはできないものなのか。中村さんの質問に苦悩しながら見えてきたのは、“思い出す”という目に見えない繋がりです。私には会えないけれど、毎日、顔が浮かぶ人が何人かいます。どうしてるかな?と思うこともなく、ただ顔が浮かんできて、はっきりとその人が、私の中に存在しているのはわかるのです。またはどうしてるかな?という想いと共に、時々思い出す人もいます。私はこれをはっきりと“繋がり”だと思ってもいいのではないかと思いました。今までにたくさんの対話や経験を共にしてきた人たちですので、会うことが叶わなくても、すでに共有しているものがたくさんあります。中には、「私は誰にも思い出してもらえてないのでは?」と不安に思う方もいらっしゃると思いますが、そこを考える必要もなければ、関係もないのです。大事なのは、私発、自分発。自分から誰かを想うことです。がん哲学外来メディカルカフェでの対話の積み重ねは、その時その時の為だけでなく、“今この時のため”でもあったのだと実感致しました。

私のかつての通学路(山の中)にある梓水神社です

ひまわり&パンダ担当🌻齋藤智恵美

第90回「心に咲く花会」全体的な「いたわり」の理解 〜 「個人感情で 排斥をする 自称リーダー ヘの警鐘」 〜

第90回「心に咲く花会」

全体的な「いたわり」の理解 〜 「個人感情で 排斥をする 自称リーダー ヘの警鐘」 〜

「天空デーサービス万座」ニュースレターが、創刊される運びとなった(添付)。 大いに感動した。市村雅昭 議長、齋藤智恵美 施設長・編集長、森尚子 雑用長の、熱意、真摯なる行動には、ただただ感服である。「冗談を 実現する胆力」であろう。

コロナショックの蔓延化の日々である。『コロナショックのときに、「コロナ君」という名前の男の子がいじめられたり、コロナビールが売れなくなったり、あるいは、感染者を出した企業を 非難したり、医療関係者の家族が 保育園などで 受け入れられなかったりといったことが起きました。 コロナショックから、私たちは 何を学ぶべきだと 先生は思われますか?』との質問を受けた。 答えは、「個人感情で 排斥をする 自称リーダー ヘの警鐘」である。一方で、『ゴールデンウィークになりました。今年は「がまんウィーク」と言われているそうです「がんばろうウィーク」になるよう、前向きに考えたいものです。』との、励ましのメールも 頂いた。 

筆者は、「日本国のあるべき姿」として「日本肝臓論」を展開している。 日本国=肝臓という「再生」論に、行き詰まりの日本を打開する具体的なイメージが獲得されよう。 人間の身体と臓器、組織、細胞の役割分担とお互いの非連続性の中の連続性、そして、傷害時における全体的な「いたわり」の理解は、世界、国家、民族、人間の在り方への 深い洞察へと誘うのであろう。(1)賢明な寛容さ (the wise patience)(2)行動より大切な静思 (contemplation beyond action)(3)実例と実行 (example and own action)の実践である。  すべての始まりは「人材」である。 行動への意識の根源と原動力をもち、「はしるべき行程」と「見据える勇気」。「偉大なる お節介症候群」(1)暇げな風貌(2)偉大なるお節介(3)速効性と英断 の時代的出番であろう! ドキュメンタリー映画『がんと生きる 言葉の処方箋』(添付)が、YouTubeに UPされたとのことである( https://youtu.be/6KJityDfUWE)。 タイムリーな、企画となろう。

第87回『一億本の向日葵』~私たちはコロナウィルスよりも大きな存在~

第87回『一億本の向日葵』

~私たちはコロナウィルスよりも大きな存在~

ドキュメンタリー映画『がんと生きる 言葉の処方箋』の野澤和之監督、並木秀夫プロデューサーが、今こそ多くの方々に「言葉の処方箋」を届けたいと、YouTubeで動画の配信を開始致しました。私も拙いながら、第2回、第3回で言葉の処方箋をご紹介させて頂きました。今までがんと生きる方、それを支える方の心を軽くしていた樋野先生の言葉の処方箋が、今がんという枠を越えて、いろいろ状況の方の心に届き始めたように思います。言葉の処方箋を、本当の意味で自分の中で作用させる生きた言葉にするには、“言葉を信じて生きてみる”ことが大切だと思います。自分の視点を変化させるには、時に意図的な力が必要になります。自然と変化することももちろんありますが、“言葉を信じて、自分を信じて生きる”と決めることは、誰かやコロナウィルスに委ねてしまっていた自分の力を取り戻す大きなきっかけになるはずです。

以前にもご紹介した私の大好きな本「モリ―先生との火曜日」の中からの一節です。

“この病気は私の精神に殴りかかってくるけれど、そこまでは届かない。肉体はやられても精神はやられない”

モリ―先生は難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)という徐々に全身の機能を失っていく難病を患っていました。思考や五感が正常に保たれたまま、ロウソクが溶けるように体の機能が奪われる病を生きる中で語られた言葉です。モリ―先生はALSよりも常に大きな存在で在り続けたのだと思います。そう在り続けると決めていたのだと思います。

今、コロナウィルスに、自分が、社会が、コントロールされているような錯覚を起こします。ですが、私たち一人一人には力があります。自分が大切に思うことを表現していくという力を手放すことはありません。モリ―先生の言葉を私たちの現状に言い換えたら、

“コロナは私たちの社会や精神に殴りかかってくるけれど、そこまでは届かない。肉体が脅威に脅かされるとしても、私たちの精神まではやられない”

ではないでしょうか?

私たちがそう決める限り、私たちの存在よりもコロナウィルスの存在が大きくなることはないのだと思います。

何を大事に思いますか?

何を美しいと思いますか?

何を憂いますか?

私たちが感じること、そのすべてが、今私たちの社会を覆うコロナウィルスよりも大きな存在となります。

ひまわり&パンダ担当🌻齋藤智恵美

第89回「心に咲く花会」不安が解消される 〜 急ぐべからず 〜

第89回「心に咲く花会」

不安が解消される 〜 急ぐべからず 〜

Wifeと落合川を散歩した。「落合川に住んでいる魚と みられる野鳥たち」の立て看板(添付)を観察した。 長島愛生園の 神谷美恵子(1914-1979)の研究者である 田中真美 先生(立命館生存学研究所、「長島愛生園の人びと」現地実行委員会責任者)からは、「鴨川、向こうに見える比叡山」の写真が送られてきた(添付)。「川の流れは 1200年変わりません。北から南に流れ、大阪淀川につながって、四国に流れていき、地球はつながっていますね。病も人も自然も共に 地球に生きています。樋野先生の教えに 感謝申し上げます。」とのコメントが寄せられた。 大いに感動した。 「鴨川」で、京都での浪人時代(19歳)の想い出が、鮮明に蘇ってきた。 浪人時代に出会った先生から、南原繁(1889-1974)を学び、矢内原忠雄(1893-1961)、内村鑑三 (1861-1930)、新渡戸稲造 (1862-1933)へと繋がった。 不思議な人生邂逅の連続である。   また、下記のメールも届いた。「朝日新聞デジタルを 読ませていただきました。 問題の解決はできなくても 少しでも解消できるような行動を していきたいと思います。その為には にもかかわらずでユーモアを持って 接していくこと 改めて大切だと感じています。―― コロナの問題は 解決しませんが、少しでも 不安が解消されるよう 私に何ができるか 考えていきます。 樋野先生、言葉の処方箋を ありがとうございます。」、「朝日新聞のインタビュー記事を 拝読させて頂きました。 毎日のテレビ報道や新聞報道で メインに報じられている事柄は、時々刻々と感染者数の増加と 医療現場や高齢者施設の崩壊等々の 緊迫した状況がほとんどですが、一番大切なことは、危機迫る時こそ、どう生きるかであり、樋野先生の回答は明快ですね。」。 これも、「南原繁、矢内原忠雄、内村鑑三、新渡戸稲造」の 学びの効果 であろうか! 「人の一生は 重荷を負うて 遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし」(徳川家康)が脳裏に浮かんで来た。 まさに、『「今日あるから 明日もある」の発想で計画を立てる』(新渡戸稲造)である。

第86回『一億本の向日葵』 ~不安や怖さの中に在る自分を認める~

第86回『一億本の向日葵』

~不安や怖さの中に在る自分を認める~

昨年の台風による大きな被害、そして今回の新型コロナウィルス、そこに加えて地震の発生と、人間の力では抗いきれない状況が続いています。昨夜も何度か続く地震で目が覚めました。人間だけでなく、ウィルスも、地球も生きているのだと実感しています。

先日、樋野先生から頂いたメールに、コロナショックで、偏見、差別も起こってきましたね!「隔離」が、コロナで日常でも、使われるようになりましたね!3世紀の「キプリアヌスの疾病」14世紀の「ペスト」、「ハンセン病」も、彷彿されますね!と、偏見や差別を危惧する先生の思いが書かれていました。10年前から活動されている「長島愛生園がん哲学外来・カフェ」へ毎年足を運び、ご高齢になられた入居者の方々の生の声に接していらっしゃる樋野先生だからこそ、感じられるものがあるのかなと思いながら、読みませて頂きました。そこで感じたことを今回は書いてみたいと思います。

私は、偏見や差別の「芽」は私の中にも存在していると思っています。それは、私の価値観が常にフラットではなかったり、日常の中での物事や出来事、人に対しても、少なからず優劣などの判断をしている自分の存在を知っているからです。特別に意識することなく、ごく当たり前な日々の思考の中にそれらは存在しています。そして、危険が迫れば、無意識に自分を守ろうとする衝動も起こります。それらをコントロールすることは、今の私にはまだまだ難しいどころか、一生かけても完璧にはできないかもしれません。ただ、その危うさを持った自分を認識した上で、自分がどう考え、どう行動するのかを選ぶことはできると思っています。そう言った意味で自分を信じることはできます。

不安や怖さを感じることが、悪いわけではありませんし、自分を、大切な家族を守りたいというのもごく自然な感情だと思います。そこを抑え込んでも苦しくなる一方です。自分自身が丁寧に認めることを第一歩にして、少し心に隙間を作ってから、その次の行動の選択をしても良いと思います。

私自身も今、自分のいのちと人にいのちを守るために、コロナウィルスに対して敏感になっています。不安や恐怖、心配を抱えています。それはそれで仕方ありませんが、きちんとその感情を受け止めたいと思います。

「私はコロナウィルス感染が怖いです。この先のことも不安がないとは言えません。今まで会うことができていた人にも会えず、寂しいです。今もその感情はありますが、自分なりに今できることを探し、行動に移しています。そして、接することがないからこそ、感染された方の苦しみや、休みなく稼働されている方の苦労や状況にも、想像力を働かせます。」

ひまわり&パンダ担当🌻齋藤智恵美