第29回『心に咲く花』 「信州大学がん哲学外来 in 軽井沢」〜「なすべきことを なそうとする愛」〜

第29回『心に咲く花』

「信州大学がん哲学外来 in 軽井沢」〜「なすべきことを なそうとする愛」〜

樋野先生

日曜日(3月10日)、「第5回 信州大学がん哲学外来 in 軽井沢」(軽井沢病院に於いて)に、wifeと一緒に、赴いた。筆者は、別室で、個人面談も行った。「テレビ信州」の取材もあった。筆者は、挨拶で、「内村鑑三・新渡戸稲造 と 軽井沢の関係」について、さりげなく触れた。内村鑑三は「ゼントルマンの為さざること」(内村鑑三選集 1 天職と一生)という文章を残している。それに倣い、新たに「プロの為さざること」5箇条を、語った。

 

(1)「プロは 人をその弱きに乗じて苦しめず」
(2)「プロは 人に悪意を帰せず」
(3)「プロは 人の劣情に訴えて事を為さず」
(4)「プロは 友人の秘密を公にせず」
(5)「プロは 人と利を争わず」

 

思慮深く、一歩踏み込む胆力、気概のある「プロ」は我慢強く、丁寧に仕上げ、最後には 立派に完成するものである。事実を直視し、リアリズムに徹することが要求される。リアリズムに徹するとは、「Grasp of thing」である。研ぎ澄まされた感性を持って、「Sense of proportion」の心で、大小を的確に判断して 物事に対処することである。その動機は「なすべきことを なそうとする愛」である。

 

新渡戸稲造の精神は下記であろう。

 

1.生活環境や言葉が違っても心が 通えば友達であり、心の通じ合う人と出会

うことが人間の一番の楽しみである

2.学問より実行

3.何人にも悪意を抱かず、すべての 人に慈愛を持って

 

まさに、「奥ゆかしさは 最も無駄のない 立居振舞い」 (新渡戸稲造) である。

 

今回の軽井沢は、「内村鑑三・新渡戸稲造」の原点回帰の 旅ともなった。

 

第28回『一億本の向日葵』 ~想いが集まる空っぽの器~

第28回『一億本の向日葵』

~想いが集まる空っぽの器~

来週20日㈬に、ABN長野朝日放送主催による「信州がんプロジェクト」特別試写会~がん哲学外来ドキュメンタリー映画『がんと生きる 言葉の処方箋』~が開催されます。担当の方から、「200名招待のところ300名を超える応募があり、看護や介護に携わる方々からも多数応募を頂いています。」と連絡を頂きました。それぞれの方が、がんと生きること、がんと生きる人を支えることに、何かしらの思いや悩みを持ち、この映画に関心を持って下さったのだと想像をしています。現在、本当にがんと無関係に生きられている人はどれくらいいるのでしょうか。自分ががんでなくでも、ご家族、ご友人、一緒に働く人など身近にがんと生きている人がいる、という人は本当に多いと思います。そういった人を含めて、“がんと生きる人”と私は考えます。がんを患ったことで、本当に人は多様な関係の中で生きていることを実感しましたが、自分ががんになる事は、自分だけでなく、自分の周りの人の心にも動揺という波を起こします。がん患者も辛い、周りの人も辛い。本当にそうだと思います。人生の理不尽さばかりでなく、自分の弱い部分、嫌な部分、相手の弱い部分、嫌な部分を知ることは痛みとして感じられました。だからこそ、がんと生きることは人生の深みに船を漕ぎ出すきっかけになるのだと思います。実際に深みに船を出してみると、思っていたよりしっかりとした自分がいたりします。物事を少し客観的に見られるようになり、自分や相手の弱さや冷たさもちょっと歪な“それぞれを思う気持ち”であったりすることを知るのです。苦しみや悲しみ、不快な感情はできれば避けて通りたい、見て見ぬふりをしたいと、私も無意識のうちに自分を守ろうとする時がありますが、樋野先生の言葉の処方箋を思い出し、「階段を上り、背が伸びる時」だと意識し直します。「がん哲学外来」という場所には、集う方が安心して深みに船を漕ぎ出せるように、頑丈な空っぽの器が用意されています。その器には、溢れ出た想いがたくさん集まりますが、その想いは少しずつ濃縮されて、誰かの気持ちを潤す一滴のしずくになります。きっとがん哲学外来ドキュメンタリー映画『がんと生きる 言葉の処方箋』が上映される会場には、「想いが集まる空っぽの器」用意されていると思います。

がんと生きる 言葉の処方箋

 

ひまわり担当🌻齋藤智恵美

第30回『心に咲く花』 社会構築の時代的方向性 〜「器量・胆力の磨き」〜

第30回『心に咲く花』

社会構築の時代的方向性 〜「器量・胆力の磨き」〜

樋野先生

第21回 後期日本家族性腫瘍セミナー『遺伝性大腸がん 〜 リンチ症候群を中心に 〜』 (日本家族性腫瘍学会・第21回 後期日本家族性腫瘍セミナー実行委員会 主催;国立がん研究センター研究所に於いて) で、「リンチ症候群研究会」の理事長として、講演の機会が与えられた。会場は、満員で、熱気に溢れていた。 大いに感動した。 かつて、日本家族性腫瘍学会の理事長も 歴任した人間 (現在は、日本家族性腫瘍学会名誉理事長) として「遺伝病も 単なる個性である」・「遺伝病であっても、病人ではない」社会構築の時代的方向性 を語った。

 

Fortuna (三菱UFJ モルガン・スタンレー PB証券株式会社 発行) でのInterview記事『病気であっても 病人ではない社会を』が、送られて来た (4ページにわたる記事の1ページ目を添付) 。似顔絵には、さりげなく 恥ずかしい思いでもある。

 

明日は、定例の「東久留米 がん哲学外来・カフェ」 (CAJに於いて) である。その後は、会場を変えて、読書会である。今回の箇所は、『武士道』(新渡戸稲造 著、矢内原忠雄 訳) の第11章「克己」である。早、3巡目 (2011年、2015年、2019年) である。「賢母の典型」についての 学びでもある。人間としての「器量・胆力の磨き」は、時代を超えて共通する永遠のテーマではなかろうか!

fortuna interview

第27回『一億本の向日葵』 ~がんとの出会いは、新しい人生の始まり~


第27回『一億本の向日葵』

~がんとの出会いは、新しい人生の始まり~

がん哲学外来に出会い、がんと生きる人々やがんと生きる人を支える人々と出会い、お話を聴かせて頂く中で、がんとの出会いは、新しい人生の始まりだと思うようになりました。私たちにとってがんとの出会いは突然であり、衝撃的です。自分の世界が突如、遠くまで見通せる穏やかな海から、1メートル先でさえ見えない荒波の海に変化したように感じられるのではないでしょうか。私も診断当時、この先自分がどうなっていくのか、治療と仕事、育児をどう乗り越えていくのか、想像でさえ難しかったのを覚えています。

先月の松本がん哲学みずたまカフェで、ある方からご紹介頂いていたエッセイ「乗り換えの多い旅」(田辺聖子著)を朗読させて頂きました。――人生の電車は、たいへん、乗り換えの多い旅なのかもしれない――エッセイの中では、それまでの生き方を変えなければならないような出来事を“乗り換え駅が来た”と表現していますが、きっとがんとの出会いもその“乗り換え駅”の一つなのではないでしょうか。生きる中で突然出会う“想像していた未来を変えてしまう出来事”。私たちはその時に、「なぜこうなってしまったのか。」と考え込み、今までの電車の中で悩むこともできます。また「なってしまったものは仕方ない。」と新たな視点で周囲を見渡し、別の電車に乗り換えることもできます。どちらであっても、その出来事に出会う前の自分とは、少しずつ違う景色が見えているはずです。この“違い”が、新しい人生の始まりを感じさせるのだと思います。がんと出会うことは、理不尽さ、悲しみや辛さを伴います。だからこそこの“違い”や“違和感”が、今までとは違う人生の始まりを後押し、乗り換えを促します。「そんな後押し頼んでいません!」と言いたくなるところですが、その後押しを受け入れ、新しい電車の車窓から外の景色を眺めたり、時に車内をウロウロ彷徨いながら、少しずつ新しい人生に馴染んでいくのだと思います。

今日3月10日、軽井沢病院で「第5回信州大学がん哲学外来in軽井沢」が開催され、私も参加させて頂いてきました。樋野先生はお話の中で、“いぬのおまわりさん=困っている人と一緒に困ってくれる人”の存在意義について触れられました。乗り換え駅が来たけれど、戸惑い、心が落ち着かず、今までの電車が良かったと思ってしまう、そんな“迷子の子ネコちゃん”のような経験が、“いぬのおまわりさん”にとって大きな宝物になります。そして、目の前の子ネコちゃんの気持ちをきっと軽くするのでしょう。計画していなかった“乗り換え”が、新しい人生を連れてきた時、上手にすんなりと乗り換えることは難しい。でもそこには”いぬのおまわりさん行き“のプレミアムな宝物が用意されているかもしれない。そんな風に思ったら、乗り換えも少し楽しみになりますね。

ひまわり担当🌻齋藤智恵美

第26回『一億本の向日葵』 ~私にとってのがん哲学という場所~

第26回『一億本の向日葵』

~私にとってのがん哲学という場所~

集中的にがん治療をしていた頃から、感じていたことがありました。それは、がんと向き合う本人が、「死」について考えた時、または言葉にした時に、その内容がどんなものであれ、“後ろ向き”だと捉えられてしまうことへの居心地の悪さです。「死を見据えた上で、今の生を考えていきたい」これが、私の中にずっとあった思いです。しかし、それを言葉にした時に返ってくるのは、「それは元気になってから考えればいい」「縁起でもないこと言わないで」「今やるべきことは治療に集中すること」という言葉でした。結局、私は一人で過ごすのを好むようになりました。

 

前を向いて治療に集中する。

死を見据えた上で今の生を考える。

 

この二つがなぜ両立しないかのように言われてしまうのか、不思議で仕方ありませんでしたが、その疑問をぶつける場所を見つけられずにいました。それから2年ほど経った頃に、“軽井沢のあうんの家”と“がん哲学”に出会いました。初めて、ありのままの思いを表現し、受け止めてもらった時の感動を今でも覚えています。その時はまだ、樋野先生のことを存じ上げず、“がん哲学”がどういったものなのか全く知りませんでしたが、“がん哲学”という言葉に初めて出会った瞬間の「こんなに探していたのに!」という悔しさにも似た気持ちは忘れられません。治療に取り組むこと、死を見据えた上で今の生を充実させること、その両方を大事に、自分の考えを整理できる場所を見つけることができたと思いました。その後も、樋野先生のあり方やお話、ご本、がん哲学を通して出会った方々と接する度に、大切にしてきたこと、大切にしていきたいことの輪郭がはっきりしてくるのを感じました。

 

「真理は円形にあらず、楕円形である。一個の中心の周囲に描かるべきものにあらずして、二個の中心の周囲に描かるべきものである。」樋野先生がお話される“楕円形のこころ”の懐の深さが、揺れ動く思いを否定することなく受け入れ、それぞれに考える余地とゆとりを与えているのだと思います。私にとってもがん哲学という場所は、主宰する側になっても、揺れ動くことも含め、温かく見守られる、本当に心強い場所です。

 

ひまわり担当🌻齋藤智恵美

長野朝日放送「信州がんプロジェクト」特別試写会のご案内

長野朝日放送主催「信州がんプロジェクト」

『がんと生きる 言葉の処方箋』特別試写会のご案内

 

この度、abn長野朝日放送主催による「信州がんプロジェクト」の一環で、がん哲学外来ドキュメンタリー映画『がんと生きる 言葉の処方箋』特別試写会を開催して頂けることになりました♪

日時:3月20日㈬ 11時00分~13時00分(10時30分開場)

場所:アイシティシネマ(山形村 アイシティ21内)

定員:200名無料招待(事前申込み)

はがきでのお申込み→〒380-8550 長野朝日放送「信州がんプロジェクト」係まで、住所、氏名、性別、年齢、電話番号、希望人数(4名様まで)を明記のうえご応募ください。

web でのお申込み→「信州がんプロジェクト」で検索 http://www.abn-tv.co.jp/project-gan/

Fax でのお申込み→チラシ裏面の応募フォームにご記入のうえご応募ください。

チラシはこちら↓

「信州がんプロジェクト」特別試写会 チラシ表

「信州がんプロジェクト」特別試写会 チラシ裏

 

カフェ最新情報(3月、4月)

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平成31年3月16日㈯ 『軽井沢 あうんの家』

時間:午前10時半~12時「まなびば」

テーマ:絵本をとおして覗く素晴らしい世界(山崎久美さん)

    午後2時~4時「かたりば」

場所:軽井沢追分521 あうんの家 にて

担当:荻原菜緒

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平成31年3月30日㈯『松本がん哲学みずたまカフェ』

時間:午後1時半~3時半

場所:あがたの森文化会館 

松本市県3丁目1-1

参加費:200円

担当者:齋藤智恵美

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平成31年4月6日(土)『佐久ひとときカフェ』

時間:午後2時~4時

テーマ:山下力生先生「がんと生きる」

場所:佐久市民創錬センター

担当:星野昭江

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第28回『心に咲く花』 『心の灯台』〜「癒し」の形 〜

第28回『心に咲く花』

『心の灯台』〜「癒し」の形 〜

樋野先生

内村鑑三記念 メディカルカフェ・沼田 2019「がん哲学外来」{国立病院機構(NHO)沼田病院に於いて} に赴いた。『がん患者さんの 抱えている怖れ、不安、悩みを受け止めつつ、語られた「あなたの思い」を聴きつつ生まれる対話を通じて、がんの重荷から解放される。ここに、私たち医療者の望む一つの「癒し」の形があると考えています。ご家族の付き添いも可能です。是非、この場をご利用下さい!』と、チラシには、記載されている。3組のがん患者・家族との 個人面談後、看護婦長らと、スタッフの旦那様が、料理された美味しい昼食をしながら、大変貴重な時を持った。『上毛かるた「こ」』の『心の灯台、内村鑑三(1861-1930)』は、新渡戸稲造 (1862-1933)とは、札幌農学校の2期生で同級生である。 終了後、電車で、群馬県から、埼玉県の「小江戸がん哲学外来」 (埼玉医科大学 総合医療センター ブレストケア科に於いて) に向かった。

 

2008年から開始した「がん哲学外来」で、多数のがん患者・家族との 対話を経験したことによって、最近、以前に聴いた「飛行機は 飛び立つときより 着地が難しい。人生も同じだよ」(本田宗一郎:1906-1991)が、思い出されて来る。

 

週末は、「がん哲学外来  花一輪カフェ」2周年記念講演会で講演「がんと共存して生きる」(千葉県八千代市 勝田台文化センターに於いて)である (添付)。

がん哲学外来 花一輪カフェ

 

第25回『一億本の向日葵』 ~心を込めること~

第25回『一億本の向日葵』

~心を込めること~

 

“心を込める”当たり前のように使っているこの言葉。きっと多くの方が、小学校の教科書の物語や、誰かの言葉などから、自然に覚えた言葉だと思います。「心を込めて作った」「心を込めた言葉を贈る」など、そこには誰かを想う気持ちが存在しています。

 

ここ最近、“心を込める”ことを改めて意識をすることがあります。がんと共に生きる中で、不安や悲しさに心の大部分が占領されてしまうとき、“心ここにあらず”の状態になります。現在起こっている事とは関係ないところへ、心が持って行かれてしまう。そんな感覚です。そう考えてみると、“心を込める”ことは、“心ここにあらず”の状態から“心ここにある”状態に戻してくれることに気が付きます。しかも“心ここにある”状態は、受動的であるのに対して、“心を込める”ことは能動的で、自分で起こすことが可能です。

 

副作用の強い治療中、私は自分の中に引きこもる時間が長くありました。がんと共に使命感を持って生きている人を見ては、「自分にはこんなことできないな…」と落ち込むこともありました。あまりに現在の自分との距離を感じるためだと思います。今に“心を込める”。それは、ご飯を食べること、体を洗うこと、爪を切ること、など自分の体を労わることかもしれませんし、料理を作ること、話を聞くこと、洗濯物をたたむこと、など誰かのためかもしれません。“心を込める”ことが、理想との間で彷徨っていた自分を、今に引き戻す役割をしてくれていました。樋野先生が、“静思する”ことの大切さを教えて下さいます。“静思する”ことは、自分の思い、悲しみも喜びも“心を込めて”感じきることなのだと実感しています。

 

ひまわり担当🌻齋藤智恵美

第27回『心に咲く花』 その人らしさを支える 〜 伝承から創造へ 〜

第27回『心に咲く花』

その人らしさを支える 〜 伝承から創造へ 〜

樋野先生

第33回 日本がん看護学会学術集会『その人らしさを支えるがん看護 〜 知と枝の伝承から創造へ 〜』での特別講演『その人らしさを支える医療“がん哲学外来”に学ぶ』(福岡サンパレス に於いて)に招待された(添付)。福岡在住の古き友人と市内で夕食の予定でもある。懐かしい出会いであり、楽しみである。

 

この度、新刊『種を蒔く人になりなさい』(いのちのことば社)が、発行されることになった(添付)。出版記念講演会は、筆者の誕生日(3月7日)に企画されている。帯には、「あなたの 今日の役割は 何ですか? 〜 涙とともに 種を蒔く者は 喜び叫びながら 刈り取る 〜」 (詩篇 126篇 5節)と紹介されている。序文は「悩みや苦しみを超えて、種を蒔く人生を目指す」とある。筆者は、幼い時から、「ひの おきお! (火の熾きを!)」と 名前の由来を聴いて育ったものである。まさに、「小さな 一粒のからし種」であり、『心に咲く花』である。

日本がん看護学会『種を蒔く人になりなさい』