第9回『一億本の向日葵』 ~がんと共に生きる②・ひまわり編~

第9回『一億本の向日葵』

~がんと共に生きる②・ひまわり編~

約8年前、私が自分のがんに出会う4年前に、「フレンドシップ・キャンプ」というハンディギャップを持つお子さんとの2泊3日のキャンプに、ボランティアとして参加した。子どもたちとの食事作り、山登り、ゲーム、キャンプファイヤーはとても楽しく、あっという間に時間が過ぎた。自閉症の高校生の男の子を担当していた私は、彼とのつかず離れずの距離感が難しく、戸惑いながらも、彼の初めての体験に一緒にワクワクさせてもらった。慣れない寝袋、トラブルが起こった時にすぐ対応するための浅い眠り、お子さんをお預かりしているという緊張感もあり、3日目にはばてていた私は、その日の午前中に用意されていた「流しそうめん」の企画で、想像していなかった自分と出会った。それは、子どもたちを押しのけてでも、「食べたい」という強い衝動であった。実際に行動には移さなかったものの、私の中ではそんな自分がかなりの衝撃であった。その後たまたま読んだ本の中にこんな話があった——発展途上国の子どもたちへワクチンを届けるために集められた寄付金をその国へ届けた時、今にも息絶えてしまいそうなほどの飢餓状態の赤子を抱いた母親が目の前に現れた。母親も飢餓の状態であったことは間違いなかった。食糧を持っていなかったその人は辛うじてバックに入っていた飴玉一つを、その母親に手渡した。「きっと口の中で溶かした飴を口移しで赤子に与えてくれるだろう」そんな無意識の期待があったが、あっけなく母親のお腹の中に納まったという。「母性」という言葉で、軽々しくその母親を責めることなど出来ない。私はこのエピソードを読みながら、その母親に自分を重ねた。たかがキャンプ3日目で感じたあの強い衝動・・・私は極限の状態でどんな判断をし、行動を起こすことができるのか。

 

厳しい状況の中で、していく選択。とっていく行動。

それこそ本当の品性を育てる。

 

この体験は、私ががんと向き合い、がんと共に生きる時でも大いに役立った。がんと共にいきることは、死を意識しながら、ある種の緊張状態の中で生きるという意味で厳しい。その中で様々な選択をしていくことは、平穏な状態での選択よりも重みを持つ。樋野興夫先生が「人生の目的は品性の完成である」と伝え続けて下さっているように、がんと共にいきることは、まさに品性を完成させていくにはチャンスとも言える出来事なのではないか。がん哲学カフェの中で、参加された方の笑顔や涙に心を動かされるのも、心が慰められるのも、品性を完成させる過程をその方が丁寧に歩んでいるからである。涙をぬぐった後に見せた笑顔がどれほど周囲の人の心を温かくしているかは、その本人には伝わりにくい。本当に「そこにいるだけで価値のある存在」なのだと実感する。涙腺がゆるくなっている私は、誰かの『生きる』という瞬間に立ち会えた時、感動してすぐに目を腫らす・・・( ;∀;)

 

ひまわり担当・斉藤