第55回『一億本の向日葵』~言葉の力~

第55回『一億本の向日葵』

~言葉の力~

令和元年11月3日㈰長野県北安曇郡池田町にある北アルプス医療センターあづみ病院にて、“北アルプス地域におけるがん対策推進のための講演会”の演者としてお話をさせて頂く機会を頂きました。演題は「がんが届けてくれたもの~生きることを考えるがん哲学の実践~」です。自分で決めた演題にも関わらず、確認用のチラシで再度確認した時には「わぁ・・なんて大それたこと・・・」と提出当時の自分の度胸に驚きました。こうした時にそっと・・・ではなく、ドンっと背中を押してくれるのは、この1年間の樋野先生の温かく熱心なご指導と常にお手本となる姿勢とどこからともなく響いてくる「速効性と英断」「冗談を本気でやる人になる」という言葉です。こうした経験のおかげで私は“決める”ことの大切さを日々感じています。悩んでから決めるのではなく、決めてから「さあどうしよう!」と思案する実践です。

樋野先生が処方する言葉には、真っ暗闇のトンネルに一筋の光を届け、クモの糸を掴むような状況の中に手がかりとなる糸を垂らす力があります。また、樋野先生のご著書や面談の感想で“心が軽くなった”という言葉をお聞きすることがあります。この“心が軽くなる”という感覚は“ギッチギチに重くなった思考を開放し、フッと心(核心)を浮上させる”という体感に私は近い気がしています。樋野先生がご講演の途中で「訳が分からないね~」とお話される時、きっと聴いている側が話についていくのに精一杯な表情をしているのでしょう(笑)。会場にクスクスっと楽しい笑い声が上がります。この笑いに変わった瞬間、ギューッと詰まった思考が開放されフッと心が浮上するのではないかと思います。

「人生いばらの道 されど宴会」

そんな時にはこの言葉の処方箋が、なるほど~と体感を持って感じられます。フッと握りしていた拳を緩めた時に、ひらひらと舞ってきた花びらが手のひらに届くような喜びもある、と。しかし、時に思考を開放し切れない時など言葉の処方箋を受け取ることが難しいこともあると思います。私自身は自分事として受け取れるまでにだいぶ時間がかかりました。体験を通して何度も言葉を咀嚼し、自分の口からスッと言葉が出るようになってやっと言葉の処方箋を自分の人生の中で生かすことができるようになりました。

私は言葉というものが自分よりももっともっと先を歩んでいるように感じる時があります。そして時に「こっち、こっちだよ!」とにっこりとしながら私を導くとても頼もしい存在に見えます。しかし、一人の人間から生まれた言葉が後世まで影響を及ぼし続けることを思うと、本当は私たちが言葉を導く存在であることも理解できます。

「あいうえお」 「アイウエオ」

一つ一つの文字が組み合わさって意味を成す言葉になる。その言葉は使う人の経験や感情や意味づけを伴って、より個性的な意味を表現する。

「一つの言葉の力を侮るな。一人の人間の力を侮るな。世界を変え得るかもしれないのだから。」

樋野先生がご講演の中で「一人の人間の力を侮るな。」と力を込めて下さるのは、「自分の力を侮るな。」というエールなのだと私は勝手に受け取っています。挫けそうなとき、自分の可能性を決めつけてしまいそうなとき、私は樋野先生が第1回『心に咲く花』~「ヘレン・ケラーとアン・サリヴァン」に学ぶ~に書いてくださったヘレン・ケラーの言葉をいつも思い出します。

「私は一人の人間に過ぎないが、一人の人間である。何もかもはできないが、何かはできる。だから、何もかもはできなくても、できることをできないと拒みはしない」(ヘレン・ケラー)

書いたり、録音したりしなければ、どんどん流れて消えていってしまう日常の言葉たちですが、改めてここに言葉の力を感じました。

ドキュメンタリー映画『がんと生きる 言葉の処方箋』を通してたくさんのご縁を頂いていますことを心から感謝しております。

ひまわり担当🌻齋藤智恵美

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