第86回『一億本の向日葵』 ~不安や怖さの中に在る自分を認める~

第86回『一億本の向日葵』

~不安や怖さの中に在る自分を認める~

昨年の台風による大きな被害、そして今回の新型コロナウィルス、そこに加えて地震の発生と、人間の力では抗いきれない状況が続いています。昨夜も何度か続く地震で目が覚めました。人間だけでなく、ウィルスも、地球も生きているのだと実感しています。

先日、樋野先生から頂いたメールに、コロナショックで、偏見、差別も起こってきましたね!「隔離」が、コロナで日常でも、使われるようになりましたね!3世紀の「キプリアヌスの疾病」14世紀の「ペスト」、「ハンセン病」も、彷彿されますね!と、偏見や差別を危惧する先生の思いが書かれていました。10年前から活動されている「長島愛生園がん哲学外来・カフェ」へ毎年足を運び、ご高齢になられた入居者の方々の生の声に接していらっしゃる樋野先生だからこそ、感じられるものがあるのかなと思いながら、読みませて頂きました。そこで感じたことを今回は書いてみたいと思います。

私は、偏見や差別の「芽」は私の中にも存在していると思っています。それは、私の価値観が常にフラットではなかったり、日常の中での物事や出来事、人に対しても、少なからず優劣などの判断をしている自分の存在を知っているからです。特別に意識することなく、ごく当たり前な日々の思考の中にそれらは存在しています。そして、危険が迫れば、無意識に自分を守ろうとする衝動も起こります。それらをコントロールすることは、今の私にはまだまだ難しいどころか、一生かけても完璧にはできないかもしれません。ただ、その危うさを持った自分を認識した上で、自分がどう考え、どう行動するのかを選ぶことはできると思っています。そう言った意味で自分を信じることはできます。

不安や怖さを感じることが、悪いわけではありませんし、自分を、大切な家族を守りたいというのもごく自然な感情だと思います。そこを抑え込んでも苦しくなる一方です。自分自身が丁寧に認めることを第一歩にして、少し心に隙間を作ってから、その次の行動の選択をしても良いと思います。

私自身も今、自分のいのちと人にいのちを守るために、コロナウィルスに対して敏感になっています。不安や恐怖、心配を抱えています。それはそれで仕方ありませんが、きちんとその感情を受け止めたいと思います。

「私はコロナウィルス感染が怖いです。この先のことも不安がないとは言えません。今まで会うことができていた人にも会えず、寂しいです。今もその感情はありますが、自分なりに今できることを探し、行動に移しています。そして、接することがないからこそ、感染された方の苦しみや、休みなく稼働されている方の苦労や状況にも、想像力を働かせます。」

ひまわり&パンダ担当🌻齋藤智恵美

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