カフェ最新情報♪

10月20日㈯『あうんの家カフェ』

☆午前10時半~12時「かたりば」

☆午後2時~4時「まなびば」

テーマ:『がんと共に地域で生きること担当荻原菜緒先生

    (リレー・フォー・ライフ信州まつもとでの講演内容)

参加費は午前・午後それぞれ200円

場所:軽井沢町追分521

(担当者 荻原菜緒)

10月27日㈯『松本がん哲学みずたまカフェ』

テーマ「一緒に笑おう。一緒に語ろう。落語会@みずたまカフェ」

祝福亭福助さんによる落語を楽しみ、その後は福助さんも交えて、

おいしいものを頂きながら、みなさんで語り合います。

時間:13時半~16時半

参加費:500円

場所:松本市庄内地区公民館(ゆめひろば庄内)松本市出川1-5-9

担当者 斉藤智恵美

ご案内 →→→ 落語会@みずたまカフェ

11月3日㈯『佐久ひとときカフェ

テーマ「今注目のオキシトシンってなあに?

~魅惑のハンドマッサージ~」

講師:山本真琴さん

時間:14時~16時

場所:「佐久市創錬センター」 佐久市猿久保165-1

担当:星野昭江

チラシ→2018.10.06「ひとときカフェだより

☆お問い合わせは、メールアドレスgratefuldays.we@gmail.comまで。

第7回『心に咲く花』 人生「連チャン症候群」〜 小さな事に、大きな愛を込め 隣人になって行く 〜

第7回『心に咲く花』

人生「連チャン症候群」〜 小さな事に、大きな愛を込め 隣人になって行く 〜

樋野先生

今日(2018年10月6日)は、早稲田大学 エクステンションセンター 中野校で講座『がんと生きる哲学 〜 医師との対話を通して「がん」と生きる方法を考える〜』ー> 第77回 『お茶の水メディカル・カフェ in OCC』ー> 横浜リレー・フォー・ライフ(臨港パークに於いて)で講演『がん哲学外来〜個性を引き出す寄り添い〜』に招待された。明日は、「東久留米 がん哲学外来10周年記念会」(成美教育文化会館に於いて)で、講演『がん哲学外来・カフェの役割』の機会が与えられた(添付)。10月9日は、「第5回 軽井沢がん哲学カフェ」(南軽井沢教会に於いて) が予定されている(添付)。まさに人生「連チャン症候群」である。以前に読書した箇所の「愛とは 隣人になって行く力」の文章が甦った。

 

2017年7月 ボストン行きの飛行機の中で、映画『美女と野獣』を見た。「美女ベル」の、まさに、「無邪気に、喜んで、小さな事に、大きな愛を込める」姿には、大いに感動した。帰りの飛行機では、アニメ『アナと雪の女王』を観賞した。2つの映像を通して「良きおとずれ」の由来の真髄を実感した。『苦難−>忍耐−>品性−>希望』は、人間学の「絶対性大原理」であろう。日々地道な勉強である。同年の9月11日、市民公開シンポジウム「がん哲学外来 ~ 『アルプスの少女ハイジ』に学ぶ自己形成 ~」が、企画された。筆者は、「ゲーテを、こよなく尊敬した、ヨハンナ・スピリの小説『アルプスの少女ハイジ』は、自己形成小説である」と、学んだものである。「自己形成」は、「がん哲学外来」の原点でもある。如何なる状況にもかかわらず「自己形成」の実践でもあろう。

 

人間の身体と臓器、組織、細胞の役割分担と お互いの非連続性の中の連続性、そして、障害時における全体的な「いたわり」の理解は、世界、国家、民族、人間の在り方への深い洞察へと誘うのであろう。「責務を 希望の後に廻さない、愛の生みたる不屈の気性」が「人生の扇の要」の如く甦る。「ビジョン」は人知・思いを超えて進展することを 痛感する日々である。「目的は 高い理想に置き、それに到達する道は 臨機応変に取るべし」(新渡戸稲造)の教訓が今に生きる。まさに、「自己形成 〜 小さな事に、大きな愛を込める 〜」であろう。

何故か、この文章を 書きながら「北アルプスのハイジ = 斉藤」を、想起する。

東久留米がん哲学外来

軽井沢がん哲学外来

 

第5回 『一億本の向日葵』. ~がんと共に生きる①・ひまわり編~

第5回 『一億本の向日葵』.

~がんと共に生きる①・ひまわり編~

 

北アルプス夕日

私が「がん」という病と初めて出会ったのは、祖父の膵臓がんであった。残念ながら見つかってからわずか3カ月という早さで旅立ってしまったが、その3カ月はとても密度の濃い時間であった。入院で緩和ケアを受けていた祖父に、代わる代わる家族が付き添って、寝泊りしていた。当時19歳であった私も祖父の病院に一緒に泊まった。大好きだったお酒、たばこもコソコソと楽しんでいた祖父。ならば!と大好きだったかりんとうを持って行ったが、食べることが出来ず、付き添った日の食事は「チー、食べろ。」とほぼ私の口に入っていた。その年の7月下旬、甲子園の中継が流れる中、家族と未来の家族となった兄の彼女とも時間を過ごし、安心した様子で祖父は旅立ったように思う。祖父のがんはなぜか私に恐怖感ではなく、温かい思い出だけを残していってくれた。

 

それから13年後、私の胸にがんが見つかった。祖父との経験があってか、私にはこのがんが贈り物のように、また私の中の小さな抵抗のように感じた。主治医の先生が増殖スピードの速い私のがんを「ちょっと暴れん坊の細胞です。」と表現した時に、そりゃそうだと私の性格と重ね合わせてとても納得したのを覚えている。

「このがんは何を教えに来たのだろう。」私の中で擬人化された私のがんとの対話により、一時的に治療を中断し、病院や身近な家族にも迷惑や心配をかけたこともあった。それは本当に孤独な時間でつらさも伴ったが、今とても大きなものを残してくれている。

その後2年間の治療を経て、日常に戻りつつある頃、地元紙で紹介されていた荻原菜緒医師が月に一度自宅を開放して開催している「軽井沢 あうんの家」に参加した。そこで初めて、自分の本心を言葉にし、頑なになっていた気持ちを開放することができた。リラックスしてふと目をやった本棚に「がん哲学」という文字が見えた(当時は樋野興夫先生を存じ上げていなかった)。その時、その「がん哲学」という言葉とがんと共に歩んできたこの2年間が、パズルのピースのように合致した気がした。光が差した瞬間であった。

 

未だに「このがんは何を教えに来たのだろう。」の問いにはっきりとした答えは出ていないが、樋野先生や荻原先生、佐久ひとときカフェの皆さま、力を貸して下さる多くの皆さまとの出会いが、この問いかけの大きなギフトです。

祖父がくれた経験という大事な贈り物も胸に抱いて、向き合っていきたいと思います。

第6回『心に咲く花』 いつか誰かの為に〜「医療維新の先陣の舵取り」として普遍化〜

第6回『心に咲く花』

いつか誰かの為に〜「医療維新の先陣の舵取り」として普遍化〜

樋野先生

大型の台風 24号 の接近である。土曜日(9月29日)の午後、大阪での日本癌学会での『長與又郎賞 受賞講演』を終え、夕方帰京した。現在、新幹線は、運休とのことである。日曜日(9月30日)の午後、茗荷谷キリスト教会での 「秋の特別講演『いつか誰かの為に 〜 利他的な 幸せを求めることで 人生に輝く 〜』」を終えた。台風接近にかかわらず、会場は多数の参加であった。大いに感動した。偶数月に、既に『がん哲学外来カフェ』を実施されている 駅前の柴山堂薬局のスタッフも参加されていた。質疑応答も大いに盛り上がった。茗荷谷キリスト教会でも、柴山堂薬局と連携され、奇数月に 開催される予感がする。

 

勝海舟の研究者も、参加されていていた。『咸臨丸』と『岩倉具視 使節団』の確認ともなった。『福沢諭吉と 同船したのは 幕府がアメリカに派遣した咸臨丸で 勝海舟は艦長役でした。』、『長與又郎は、長與専斎の三男ですね。長與専斎は、長崎の大村藩出身で 長崎の医学伝習所で オランダの医師ポンペに学び 長崎大学医学部の前身の長崎精得館に関わり 明治の岩倉施設団の一員として渡欧していました。大阪の緒方洪庵の適塾にも 学んでいました。勝海舟の玄孫の方から 長與専斎のことを 聞いたことがありました。』との再確認である。『がん哲学外来』は、まさに「医療維新の先陣の舵取り」として普遍化する気配を、実感する日々である。帰宅後、激しい雨となった。夜、台風の影響で、都内の電車も、運休とのことである。まさに、「台風を背に、邁進・前進」の週末となった。10月3日は 御茶ノ水で『学生街カフェ』とのことである(添付)。

樋野先生・南こうせつ 日本癌学会

がん哲学カフェお茶の水

祝!!樋野興夫先生 『長與又郎賞』受賞おめでとうございます!!

樋野興夫先生が、日本癌学会『長與又郎賞』を受賞されました!

樋野先生本当におめでとうございます!!

研究者として純度の高い専門性を追求し、一人の人間としてがんと生きる人々の言葉に耳を傾け、生きる勇気を与え続けている樋野先生。

“脇を甘くして付け入るすきを与えて懐の深さを示す”

“暇気な風貌”

“偉大なるお節介”

ユーモラスな言葉で表現された、がん哲学外来の指針となる樋野先生の姿勢は、「人間と向き合う」事への高い専門性を追求し続ける姿勢なのだと思った。

“脇を甘くして付け入るすきを与えて懐の深さを示す”

“暇気な風貌”

“偉大なるお節介”

樋野先生の示す人間的ゆとりが、

多くの人の『心に咲く花』に水や栄養を与えている。

【長與又郎賞とは】

  日本癌学会の創立者にして、偉大ながん研究者 長與又郎博士を記念して、日本癌学会に長與又郎賞(長與賞)を設立された。長與賞は原則としてがんの臨床ならびに社会医学に関連する優れた業績を挙げるとともに、日本癌学会の発展に貢献した研究者の功績を讃える。

(日本癌学会HP    長與又郎賞受賞者紹介紹介ページより抜粋)

 第23回受賞 樋野 興夫(順天堂大学医学部 病理・腫瘍学 教授)

樋野興夫博士は、B型肝炎ウイルスの発がん機構や遺伝性腎癌ラットの原因遺伝子の同定など、病理学に立脚した優れた研究業績を挙げられました。また、アスベストによる中皮腫を環境発がんの深刻な問題と捉えて専門外来を開設し、ERCによる診断法を開発するなど、基礎研究の臨床応用にも取り組まれました。さらに、がんを人間の営みとして捉えるがん哲学を主唱し、外来を通じて支持を集めて居られます。日本癌学会では理事を4期務め、その発展に貢献されています。

 

第4回『一億本の向日葵』~運動会、今この時を生きる~

第4回『一億本の向日葵』~運動会、今この時を生きる~

「もう運動会でない!」

竹馬になかなか乗れない息子が言う。

本番があと1週間と迫った頃、保育園から運動会のプログラムが届いた。そこに描かれた喜び溢れる運動会の絵。

運動会

「これね・・・ボクが描いたの。みんなが選んだんだよ!人気だった!」

苦手な竹馬に乗れず、運動会に出たくないと言っていた息子の中にはこんなイキイキとした運動会の風景が思い描かれていたのを知り、感動を覚えたと同時にそれぞれに頑張り方も楽しみ方も違うのだと確認させられた。

雨の為、運動会は体育館で行われたが、多くの家族が集まり会場は熱気に包まれていて、この日のために、何度も何度も練習を重ねてきた子供たちと先生からは緊張感と期待感が感じられた。息子が通う保育園の運動会は、保護者が参加する競技がとても多く、今年母として参加した競技は、親子リレー、玉入れ、綱引き、仮装リレー(ムカデ競争)の4つ。特に年中クラスからタスキが繋がれる親子リレーは、親としても責任重大である。日常生活ではまずすることがない全力疾走。「足がもつれて転ばないように、何とかタスキを繋ぎたい・・・滑稽な姿は見せたくないね。」そう一緒にリレーの順番を待つお母さんと話しながら、「あんなに小さな子供たちも、同じようにプレッシャーを感じ緊張しながら頑張っているんだな」とふと思った。恐怖感や不安感は、大人や子供に関係なく平等に湧き上がるのだけど、みんな逃げることなく走り切っていた。子どもたちから繋がれたタスキ、我が黄色チームのタスキは一周遅れのトップで(笑)(←樋野先生ご講演で見たスライドの中の1位を走るランナーは必死であるが、一周遅れのトップのランナーは口笛を吹いている絵を思い出す。)私の前に回ってきた!どう頑張っても挽回は厳しいが、息子たちの本気に敬意を示し、私も全力で走る姿を見せた。私に限らずすべてのお父さん、お母さんが全力で走り切った。さっきまで「きれいなフォームはこうでああで、カーブは小さな歩幅で」なんて話していたのにいざ本番では、走り方は完全に度外視。恥ずかしさなんてお構いなし。夢中で走り始めてからは、さっきまでの恐怖感や不安感は一切頭から吹き飛んでいた。結果は残念ながら最下位だったが、結果なんてどうでもよかった。

「転んでケガをするかもしれない」

「恥ずかしい思いをするかもしれない」

この恐怖感や不安感は、過ぎてしまったらもう味わえないのだと知った時、

その不快な感情でさえ尊いものに思えた。大げさだけれど、生きている証であった。

筋肉痛の手足、震える膝(笑)。あまり使われていなかった筋肉の存在を感じながら、「運動会、この時を生きる」を書く。ケガをしたら仕事にいけない。今日中に仕上げなきゃいけないから体力を残しておかなきゃ。そんな未来への不安をなげうって「全力疾走という今を生きた」ことは思いのほか、私にたくさんのエネルギーと気づきをもたらしてくれた。

ひまわり担当:斉藤智恵美

 佐久「がん哲学外来の歴史」 ~その3~

 佐久「がん哲学外来の歴史」 ~その3~  

信州佐久「がん哲学外来研修会&交流会」の2回目の開催は2010年5月30日(日)であった。「故若月俊一先生の生誕100年に寄せて」と銘打ち、基調講演 「若月先生の人と心を語る」を 佐久総合病院の名誉院長・松島松翠先生にお願いした。シンポジウムは「広々としたメディカルタウンをめざして~人と人との支え合い、心と心のふれあいを~」をテーマを掲げて前回よりも一層地元住民の参加を呼び掛けることにして宣伝活動を開始した。

以下は当日のプログラムである。


第1部  (6:00~12:50)

6:00~ 8 :00 洞源湖散策と熱気球搭乗体験

10:30~11:40 ふれあいコンサート「サウンド・オブ・ミュージック」の歌にのせて

11:50~12:50 お楽しみランチ交流会(地元の無農薬玄米と食材を利用して)

第2部 (13:00~16:00)

◇ ご挨拶   順天堂大学医学部教授     樋野 興夫

「がん哲学&がん哲学外来~メディカルタウンの起始遺伝子~」

◇ 基調講演    佐久総合病院 名誉院長   松島 松翠

「若月先生の人と心を語る~故若月俊一先生 生誕100年によせて~」

◇ シンポジウム   ・テーマ「広々としたメディカルタウンをめざして」

◎ シンポジスト

・元山梨医科大学医学部教授 哲学者     川田  殖

「若月先生の人と心に応えるために~ひとつの私的回想から~」

・佐久総合病院地域ケア課 医長        北澤 彰浩

「佐久の地域医療をもっともっと身近に感じよう」

・佐久大学看護学部 講師            横山 孝子

「支え合ってこその健康と生きがいづくり」

・NPO法人「郷土史研究と青少年健全育成会」  依田 武勝                     

「佐久の古代史から見えてくる病と慈悲」

◇ 会場を含めての意見交換タイム

~あうんの家 『森が教えてくれたこと』~

~あうんの家 『森が教えてくれたこと』~

9月22日㈯、軽井沢の「あうんの家~まなびばの時間~」にてネイチャーガイドとしてご活躍されている池田雅子さんによる『森が伝えてくれたこと』のお話会が開催された。

慢性疲労症候群という病に悩まされていたという池田雅子さん。

以下は池田雅子さんのお話より

「疲労感に襲われ熟睡することも出来ず、朝、夫や子供たちを送り出すことも出来ませんでした。ある日フィッシュイングが好きだった夫に誘われて子供たちと森にやってきました。彼女は待っている間に森に包まれている感覚を感じ、そこで熟睡することができました。何年か振りの感覚でした。その感覚を文章にし、やがて色をつけて絵にしてみました。その後、芸術療法を経て、森林生態学を学ぶことにより、本来の自分、森のなるべき姿を知りました。各々の木にもそれぞれ個が存在し各自のDNAを継続して存続することに力を注ぐ。植物という動かないものの中に個というものを感じさせる、その事に驚きを感じました。また各自、極力自家受粉させない為の試みを行っているという工夫、生命の持つ素晴らしさを感じられました。」

 

あうんの家で池田さんのお話を聞いた石塚眞一さんは「私も自然の中を歩くのが好きなので、早朝誰もいない時間、森の中、草原の中を一人で歩くのが好きです。というか自分の心の中を鑑みるのです。すると山の声とが聴こえてきます。風の音、鳥のさえずりとともに声なき声が語りかけます。池田さんも山の神を感じたと、いうように自然界には大いなるものを感じられます。」と話す。

がんと生きる中で、静寂の中に身を置き自分と向き合うことも時に必要であり、自然はそれをいつでも温かく見守ってくれる頼もしい存在なのだと思う。

 

現在、池田雅子さんは木島平村のカヤノ平に極力生態系が守られているブナ林で案内人をしている。彼女は「人間は自然界に良かれと思って、他所の土地から他の植物、などを持ってきます。その事により知らないうちに生態系を破壊するということをやってしまいます。また今現在、温暖化などの環境の変化により、森林が絶えることが出来ない(土砂崩れなど)ほどの異常気象が起きています。それを防ぐ意味でも私たちも二酸化炭素排出量を増やさないよう一人一人が努力していく必要もあります。」とも語ります。

彼女は森の自然と出会えたことを心から感謝し、その森を守りたいと本気で考えています。

私たちは一方向的に自然から豊かさを受け取り続けている。食べ物や水、酸素だけに留まらず、「自分を癒す力」まで。自然の懐の深さに感動する。あらゆる物や人を受け入れる『空っぽの器』でありながら、そこには豊かさが満ちている。

最新カフェ情報♪

10月6日㈯ 『佐久ひとときカフェ』

☆午後2時から4時

テーマ「座ってヨガ~ヨガの動きと呼吸で体いきいき~」

場所:佐久市創錬センター

10月20日㈯『あうんの家カフェ』

☆午前10時半~12時「かたりば」

☆午後2時~4時「まなびば」

テーマ:『がんと共に地域で生きること担当荻原菜緒先生

    (リレー・フォー・ライフ信州まつもとでの講演内容)

参加費は午前・午後それぞれ200円

場所:軽井沢町追分521

担当 荻原菜緒

10月27日㈯『松本がん哲学みずたまカフェ』

テーマ「一緒に笑おう。一緒に語ろう。落語会@みずたまカフェ」

祝福亭福助さんによる落語を楽しみ、その後は福助さんも交えて、

おいしいものを頂きながら、みなさんで語り合います。

参加費:500円

場所:松本市庄内地区公民館(ゆめひろば庄内)松本市出川1-5-9

担当 斉藤智恵美

ご案内 →→→ 落語会@みずたまカフェ

第3回 『一億本の向日葵』 ~祖母の遺してくれたもの~

第3回 『一億本の向日葵』

~祖母の遺してくれたもの~

    私には96歳と85歳の祖母がいます。96歳の祖母は、3年ほど前に軽い肺炎と脳梗塞を併発し、重い要介護状態となり、それからは入所型の施設でお世話になっていました。安定して過ごしていましたが、昨夜容態が急変し、救急搬送された病院で心臓の鼓動を終えました。その瞬間を家族と共に迎えられたことは、きっと祖母にとっても私たち残されたものにとっても救いになると感じました。

生まれた時から一緒に暮らし、身近な祖母でしたが、感情的で激しい性格だった祖母の声が子どもの私には怖く、耳をふさぐこともありました。もちろん可愛がってもらったこと、どこかに連れて行ってもらったことなど良い思い出も優しい笑顔も私の中には残っています。祖母が高齢となり、私が支える側になった頃には不安や寂しさからくるのでしょう、「死にたい死にたい」といつも言っていて、それに耐えきれなくなった私は必要最低限のこと以外は距離を置くようになっていました。祖母の足音、息づかいすら私を緊張させました。祖母の孤独感を何とかしたい、でも優しい言葉一つかけられない、無意識に避けている自分への嫌悪感、罪悪感は大きなものでした。90代になった祖母との時間はそんなに長くはない。そう感じていた私は、祖母を許し愛すこと、自分を許し愛すことを求め続けていました。「今日は寝たきりになった祖母を抱きしめよう」と意気込んで施設に行っても、できたのは足をさすることだけ。「優しい言葉をかけよう」は低い声での「ごはんおいしく食べれてる?」だけ。自分の不器用さと過去のわだかまりの大きさを感じられずにはいられなかった。安定した状態で過ごしていると思ってあまり顔も見に行っていなかった私の前に、最期の時は急に訪れました。たまたま実家に帰っていた私は入浴中の父に代わって、施設の名前が表示された父の携帯電話にでました。「容態が急変して、今サチュレーションは60程です。施設に来て頂けますか?」と看護士さん。「わかりました。すぐに伺います。」と電話を切って数分も経たないうちにもう一度電話がなりました。「脈はとれていますが、呼吸が停止しました。急いできてください。」と。救急車を呼んでもらい、救急車とほぼ同時に病院に駆け込みました。救急隊員、病院の方々の対応で心拍はまだ残っており、人工呼吸器で何とか呼吸を確保できていました。家族に手渡された延命治療の選択。対応して下さった先生の温かく思いやりに満ちた声を聞いて、「祖母の最期を息子と一緒に静かに見守りたい。」と心の底から思いました。言いたくてもずっと言えなかった言葉。「優しくできなくてごめんね。ありがとう。」その言葉が自然と出てきた瞬間、自分の気持ちもスッと軽くなった気がしました。祖母は、理想的な優しい祖母ではなかった。でも、私に「愛を受け取る、愛を差し出す」という大きなレッスンを遺してくれたのだと思います。今やっと言える「ばば、私のおばあちゃんでいてくれてありがとう。」私たちにとっての最高のプレゼントでした。

祖母は天寿がんを生き切りました。

ひまわり担当/斉藤