第86回「心に咲く花会」大変な作業を、丁寧に 正確に 〜 「知識は 秘蔵するものに あらず」 〜

第86回「心に咲く花会」

大変な作業を、丁寧に 正確に 〜 「知識は 秘蔵するものに あらず」 〜

シロクマ (polar bear) の親子の写真が 息子から送られて来た(添付)。 まさに、「癒しの写真」 である。「睦まじき親子が一番」(新渡戸稲造)の言葉が蘇って来た。 筆者の父親は、船乗りで、不在であったので、母親に負われ、診療所に行った幼い時のことが、鮮明に思い出された。 人生は、不思議である。

「緊急事態宣言を受けて、――。 先人の 生きてこられた大変な時代を思います。 樋野先生の ご著書は 支えになります。」との、励ましのメールを 京都府の在住の方から頂いた。 大変 勇気が与えられた。 筆者が、浪人時代を過ごした 京都の写真も、大変懐かしく思った。 千葉県に在住の方からは、「樋野先生の著作集の 改訂版を作成しましたので、ファイルを添付させて頂きます」とのメールが送られて来た(添付)。 これ程の大変な作業を、丁寧に 正確に してくださることに、ただただ 感謝のみである。 2003 〜 2020年(17年間)30冊 発行した ようである。 2003年とは、筆者49歳の時、丁度、癌研の実験病理部長から、順天堂大学医学部の病理・腫瘍学の教授に就任した年である。 階段を 一歩一歩登る如く、人生は、不連続の連続性である ことの実感である。 

著作は、「知識は 秘蔵するものに あらず: 知識思想は 天よりの預かりものならば、一人一家の 秘蔵すべきものではない。 あまねく 世界に 提供すべきもの。 すなわち 衆生一般とともに 楽しむもの」(一日一言 五月二十八日;新渡戸稲造)の 実践では なかろうか!

第83回『一億本の向日葵』~今、ここ、手元に手繰り寄せる~

第83回『一億本の向日葵』

~今、ここ、手元に手繰り寄せる~

テレビをつけると否応なく飛び込んでくる新型コロナウィルスのニュース。今は症状や対策のことよりも、営業自粛による経済や個人生活への影響や、国の対策についての世論が多く取り上げられているように感じながら、私はテレビのワイドショーをボーっと見ていました。この背後には、自分も含めて今生きている全ての人がいます。全く影響を受けない人はいない状況で、影響の受け方は人それぞれ、大きさも形も違っています。この大きな波に飲み込まれている感覚を、こんなに広い地域で、こんなたくさんの人が同時に感じることは、私にとっては初めての経験です。

大きな波に飲み込まれている中で、自分や自分の身近な人が心を落ち着けて生活を営むためにできることってなんだろうかと考えてみました。私には社会とか、遠くの人にまで意識の範囲を広げる度量がありませんので、まずは自分から、そしてすぐ隣の人、またその隣の人という風にジワジワ心の落ち着きを広げていく方法が合っています。私の心のざわつきは、身近な人へと伝播します。その反対に私の心の落ち着きや安心も、身近な人に伝播します。そのことを考えると、自分の状態を整えることが、実は最優先事項ではないかと思っています。自分の状態を整えるためにできることってどんなことがあるのでしょうか?これこそ人それぞれ違いがあることは間違いないのですが、一つだけ大きな共通点があります。それは、「今」「ここ」「手元」です。樋野先生が良く「過去のことを思い煩っても、明日のことを憂いても・・・」とお話をして下さいます。安心は過去にも未来にもなく、今ここ、自分の手元にしかない。やらなければいけないことに埋め尽くされた忙しい毎日の中では、「今」「ここ」「手元」なんて流暢なことは言っていられなかったかもしれませんが、強制的にペースを落とさざるを得なくなった状況がそれを可能にしてくれます。例えば、今、私がこの文章を書いているそばで、息子は任天堂SWITCHというゲームをやっています。彼の未来を憂いていると「勉強しなくなったらどうしよう」や「目が悪くなったらどうしよう」など、私の中に波風が立ちますが、「今」「ここ」は安心で幸せな時間です。その今を積み重ねてもいいのかもしれないと思うのです。

4年ほど前、あるワークショップで、私は「大ウソつき大会」というゲームに参加しました。自分のことについて「私は・・・です。」という大ウソを、考えずに直観に任せて、順番にボンボンと出していくゲームです。それが何の役に立つのか当時はわかりませんでしたが(笑)、自分でも意識していない言葉がいっぱい出てきてとても面白かったのを覚えています。

「私は木の上にいるナマケモノです。私は忙しそうな人の時間をスローモーションにします。」

これは実際に私の口から出た大ウソです(笑)今でもナマケモノは私の大好きな動物ナンバー1ですが、そんなことを言い出すファンタジーな自分に笑ってしまいました。でも、あながち間違いではないとも思います。目まぐるしい毎日から考えると、スローモーションの方が「今」「ここ」「手元」の幸せに目が向きやすいですから。

それでは、皆さま、思いっきりスローモーションの時間を楽しんで、喜びを見つけてください♪ナマケモノより。

ひまわり&パンダ担当🌻齋藤智恵美

第85回「心に咲く花会」 「愛と思いやりの表現」〜 握手しているイラスト 〜

第85回「心に咲く花会」

「愛と思いやりの表現」〜 握手しているイラスト 〜

筆者は、「1人、部屋で 静かに1時間読書する 習慣をつけよ!」と 若き日に学んだ。 その教えが、「コロナ ショック」で、行事予定が中止や延期が相次ぐ中、生きている。 筆者と、勝海舟、新渡戸稲造が 握手しているイラスト、それに神谷美恵子も 加わったイラストが、浅草の薬剤師から 送られてきた(添付)。「愛と思いやりの表現」には、大いに感動した。 神谷美恵子は、齋藤智恵美 代表を彷彿させた。 1860年代遣米使節団 (勝海舟らが 居た) が、 ニューヨークの ブロードウエイを行進した。 彼らの行進を見物した 詩人ホイットマンは、印象を 「考え深げな黙想と 真摯な魂と 輝く目」と表現している。  この風貌こそ、現代に求められる 「学者の風貌」 でなかろうか。 

筆者は、「日本国のあるべき姿」 として 「日本肝臓論」を展開している。 日本国 = 肝臓という 「再生」論に、行き詰まりの 日本を打開する具体的な イメージが 獲得されよう。 人間の身体と臓器、組織、細胞の役割分担と お互いの非連続性の中の連続性、そして、傷害時における 全体的な 「いたわり」 の理解は、世界、国家、民族、人間の在り方への 深い洞察へと 誘うのであろう。 「日本の傷を医す者」 (矢内原忠雄: 1945年12月23日の講演) が蘇った。 政治家にして医師のセンスを 兼ね備えるのは 至難のことである。  しかし その稀有の例が 過去の日本にもいた。 後藤新平 (1857-1929年) である。 1882年、岐阜で暴漢に襲われ 負傷した板垣退助を 医師として手当し、板垣退助に 「医者にしておくには惜しい。 政治家になれば、かなりのものに なるであろうに」 と 言わしめた後藤新平は 実際、関東大震災後の東京復興の壮大な ビジョンを描いたリーダーとして 「理想郷を作りたいと願う熱い思い」 を持ち 「行動する人間」 であったとのことである。 後藤新平は、新渡戸稲造を いろいろな局面で 抜擢した人物でもある。

「時代を動かすリーダーの 清々しい胆力」 としての 「人間の知恵と 洞察とともに、自由にして 勇気ある行動」 (南原繁著の「新渡戸稲造先生」より) の文章が思い出される 今日この頃である。 「最も必要なことは、常に志を忘れないよう 心にかけて記憶することである」(新渡戸稲造)。 高らかに理念を語る 「小国の大人物」 出でよ!

第82回『一億本の向日葵』~淀みなく流れる~

第82回『一億本の向日葵』

~淀みなく流れる~

今日は3月の松本がん哲学みずたまカフェの日でした。外出自粛ムードの中の開催は、とても勇気がいる決断でしたが、感染拡大に気を付けながら、小規模でも開催できたことやこのご時世だからこそ語られることに、大きな意味があったように思いました。私が今回の開催の決断に至った理由に、過去の出会いがありました。20代前半の頃勤めていた障害を持った人が過ごす施設でのことです。私よりも少し年の若いMさんは、進行性の病により、自由に動かせるのは手先と首より上という障害を持っていました。体に制限はあっても、クリスマスのデートなど、年相応に色々なこと興味を持っていましたし、プロ野球チームの中日ドラゴンズが好きで、いつか試合観戦に行きたいとよく話していました。しかし、体に重い障害のあるMさんにとって試合会場までの長距離移動は、リスクや負担が多いこともあり、なかなか実現せずにいました。施設の一職員であった私はいざとなったら、全力で応援しようと思っておりましたが、その願いは叶わぬまま、Mさんは旅立ちました。「一緒に叶えたかったな・・・」というのが、私の正直な思いです。肉体的な命を守ることももちろん大事だと思っていますが、人間それだけではなりえないとも同時に感じています。「今」がこの瞬間にしかないこともあり得るのです。今あるいのちの声に耳を傾けたいというのが、矢面にたってもいいと、開催に至った理由でした。

不安による集団行動の真意や、マイナスな出来事のプラスの側面、節目の大切さ、曖昧に終わってしまうことの弊害、たくさんの人が命について考える機会になっている、面会ができないことで止まる時間、新しいコミュニケーションから生まれる発見、などなど。今までのがん哲学カフェとまた違った視点での対話が進みました。堰き止められていた思いが、淀みなく流れる・・・そんな印象でした。水も血液も淀みなく流れることはとても大切だと思いますが、私たちの生きる社会でも、心理的側面でも、淀みなく流れることがとても大切に思われました。これはリスクを恐れず対面でという意味ではありませんが、滞留には必ず淀みが出ます。その淀みが濃くなると、きれいな状態にするのにはそれなりに時間や努力が必要になります。こんな状況だからこそ、どんな方法でもいいので、淀みなく流せる環境が必要ではないかと思いました。このような時間を共有できましたことを、心から感謝しています。

今日は私の38回目の誕生日でした。素敵なお花とカード、笑顔のプレゼントを頂き、とても嬉しい時間となりました。また樋野先生とJeanさんからのお祝いメッセージ&内村鑑三の命日が70年前の今日であったことで、「🐼は内村鑑三の生まれ変わり」という樋野先生からの驚くべきメッセージにも、笑顔が溢れました。みなさま、本当にありがとうございました!頑張って生きたいと思います。

お隣は樋野動物園🐋担当の石塚眞一さんです。退職祝いです!

ひまわり&パンダ担当🌻齋藤智恵美

第84回「心に咲く花会」『逆境を超えてゆく者へ』 〜 人は意志なり 〜

第84回「心に咲く花会」

『逆境を超えてゆく者へ』 〜 人は意志なり 〜

筆者は、今週は、授業『がん学(Basic): がん、発がん、病理学』のビデオ収録を 教室で 1人で行なった。 その後、筆者が、委員長を務める 「第83回 アスベスト中皮腫外来 推進委員会」に、出席した。 2005年「クボタ ショック」(兵庫県尼崎市)から 今年(2020年)は 15年が経過した。 2005年 順天堂大学で、週一回の「アスベスト・中皮腫 外来」を開設した。 現時点では、初診数、再診数 合計7000人 を超えている。 継続の重要性を痛感する日々である。 アスベスト暴露から、潜伏期の長い中皮腫は、現在 全国的に増加している。

国立ハンセン病療養所の長島愛生園に通い 「精神科医:神谷美恵子の実践」についての研究を 進めらている先生から、『樋野先生は、2012年長島愛生園に来られ、「神谷美恵子記念ガン哲学カフェ」を ご講演、哲学カフェを 開催してくださいました。 長島愛生園ではそれから継続して、今も「愛カフェ」として、月に一回、入所者の方々と 外部からの人との 交流の場となっております。 2014年には 岡山市民会館大ホールにて、「神谷美恵子生誕100周年記念」が開催されました。そのおりには 樋野先生、故 日野原重明先生、神谷美恵子次男の神谷徹さんの鼎談などが行われて、1200人の満席の会場にて 神谷美恵子を忍びました。 ちなみに 神谷美恵子の両親の仲人が 新渡戸稲造であり、樋野先生とは深いご縁があります。」と説明され、それを受け取った方は、『2014年、私も 岡山市民会館での講演会に、参加致しました。日野原先生は、ご講演のお時間中ずっとお立ちになって。樋野先生が「すごいです~~ね」と コメントされていたのを覚えています。 二人で斜めになって座っている絵も、会場、笑の渦でしたね。』 と 返答されたようである。 心温まる 微笑ましい ユーモア溢れる会話である。 2020年7月 京都市の立命館大学の国際平和ミュージアムで「長島愛生園の展覧会」を開催されるとのことである。

今は、「コロナ ショック」である。 「コロナ ショック」で、行事予定が中止や延期が相次ぐ。 それゆえに、筆者も、久しぶりに 新渡戸稲造 著『逆境を超えてゆく者へ』、矢内原忠雄 著『銀杏のおちば』、勝海舟 語録『氷川清話』を 拝読する時間が 与えられた。 まさに、『一喜一憂せず、「綽々たる余裕」』(勝海舟)の学びである。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である」(ヨハネ黙示録21章5節)の 再認識の時ともなった。 今度、齋藤智恵美 代表による 講演会『がん哲学のレッスン 教室で <いのち> と向き合う 〜 人は意志なり 〜』が、企画される(添付)。乞うご期待である。

第81回『一億本の向日葵』 ~細胞、人間、社会~

第81回『一億本の向日葵』

~細胞、人間、社会~

私は「がん哲学」という言葉と同時に、樋野先生の著書「がん哲学改訂版~がん細胞から人間社会の病理を~」に、出会いました。自分の体の中にがんが見つかってから、がんに関するいくつもの本を読み漁りましたが、明らかに視点の違うこのご本に、衝撃にも似た安堵感を覚えました。悪者の悪いところを指摘して、いかに排除するか。そんな視点が多い社会に息苦しさを感じていた私は、樋野先生によって語られるがん細胞の姿が愛おしくさえ思えました。

3月20日の春分の日に、私はインターネットを活用したオンラインのメディカルカフェ開催のために、松本市の自宅から2時間ほどの駒ヶ根市にある駒ヶ根パノラマ愛の家に向かいました。本来であれば、駒ヶ根がん哲学外来心晴カフェの開設記念として、ドキュメンタリー映画『がんと生きる 言葉の処方箋』上映と樋野先生のご講演を実施する予定だったこの日ですが、やむを得ず延期の判断をして、オンラインでのメディカルカフェ開催にチャレンジをすることとなりました。パソコンの画面と音声を通して感じられたものは、想像以上に広がりがあり、これからの一つの可能性を参加して下さった方々と共有できたことは、大きな実りとなりました。さて、その日の朝7時に自宅を出発して車を走らせていた時のことです。ふとあることが私の頭をよぎりました。それは「私ががんになったのは、社会でがん細胞的な役割を思い出すためだったんじゃないか」ということでした。自分でも驚きながら、でも腑に落ちた瞬間でもありました。目的を見失ったがん細胞は体という社会を蝕みますが、目的を見定めて、がん細胞のように、自分でエネルギーを作り出し、その場に順応しながら、地道に自分たちの社会を作り上げることが、私たちにもできるのだと何かをつかんだ気がしました。樋野先生は「がん哲学」中で、「宣教師はがん細胞になれ」と書かれています。私は宣教師ではありませんが、そういった気持ちで生きることはできます。悪と見なされがちながん細胞にも、見習う部分があります。私たち一人一人も、完全に良い、完全に悪い人間というのはなく、両方持ち合わせています。社会の在り方も本当はそうだと思います。良い面も悪い面も、その両方を見て見ぬふりをせずに、丁寧に見て、認めて、自分なりの目的を見定めるには、個性と多様性に寛容な社会や場所が大切になります。その日、私はそんな場所をこつこつと作りたいと思いました。

ひまわり担当🌻🐼齋藤智恵美

第83回「心に咲く花会」「学校では、学ばないことの 学び」 〜 悩んでいる時に 手を差し伸べてくれる 友達の存在 〜

第83回「心に咲く花会」

「学校では、学ばないことの 学び」 〜 悩んでいる時に 手を差し伸べてくれる 友達の存在 〜

昨夜、国際医学生連盟とのSkypeでの講演、そして講演後は、多数の質問を頂いた(22:00 〜 23:45)。 医学生の真摯な姿勢には、大いに感動した。 筆者のいくつかの著書を 事前に読まれていたようである。「学校では、学ばないことの 学び」が目的とのことであった。 

  • 言葉で 相手を傷つける。
  • 善意の言葉が 人を傷つける。
  • 人に対する 話し方。
  • 言葉で癒す 人になる。
  • 余計なお節介 と 偉大なるお節介の違い

「涙とともに、パンを食べた者でなければ、人生の味は わからない」(ゲーテ)

「無邪気に喜んで、小さな事に、大きな愛を込める」(アルプスの少女ハイジ)

も語った。 

北海道大学の医学生もおられ、札幌農学校の校長 クラーク(1826-1886)、2期生の 内村鑑三 (1861-1930)、新渡戸稲造 (1862-1933) のことも語った。 内村鑑三、新渡戸稲造の上にいた、新島襄 (1843-1890)、新島襄を支援した勝海舟 (1823-1899)も 触れた。 内村鑑三が 鬱的になった時、新渡戸稲造は、新島襄に「内村鑑三を 慰めてほしい」と お願いした。 悩んでいる時に 手を差し伸べてくれる 友達の存在は、極めて大切であること を述べた。

今朝、京都の立命館大学の田中真美 先生から「新島夫妻が 住んだ家」の写真が送られてきた(添付)。「新島は、1868年 明治新政府が立ち上がった時には、日本にはおりませんでした。 当時、打ち首される時代、脱国をして学びました。日本に英学校をと強い志がありました。1871年日本に帰国して、大阪で学校をする用地を求めましたが、駄目になり、当時、会津出身の山本覚馬が 副知事を務めており、彼が新島の為に奔走します。 今の同志社のたつ 薩摩藩の跡地で 英学校を開校します。 人ひとりは大切なりと 新島は 最初4人の生徒からスタートしました。 山本覚馬の妹、八重さんは、新島を支えました。」との メールを頂いた。 偶然にも「天空デーサービス万座」も、2020年3月 4人でスタートした。 まさに、「新島襄の志は 生きている」。

第80回『一億本の向日葵』~自由意志。選択が思い出をつくる~

第80回『一億本の向日葵』

~自由意志。選択が思い出をつくる~

樋野先生のお誕生日のお祝いで、万座温泉日進舘を訪れました。それまでの春の陽気がうそのように、当日は雪がしんしんと降り積もる冬の天気。松本市から車で約3時間の道のり、冬用タイヤでもスリップを繰り返し、まさに手に汗握りながらのドライブで、やっとのこと万座温泉に到着しました。その甲斐もあって、真っ白に雪化粧した万座の幻想的な風景や、空から降る雪を見ながらの露天風呂は、緊張した体と心を深く癒してくれるものでした。

夕食は、樋野先生のお誕生日を祝う宴会です。日進舘の心づくしのお料理、樋野先生の奥様Jeanさんの愛情こもったバースデーケーキに舌鼓を打ち、歓談やカラオケを楽しむとても充実した時間となりました。コロナウィルスの影響がまだまだ色濃い状況です。今回の会に参加したいと思っていたものの、参加が叶わなかった方々もいらっしゃいました。参加された皆さまも、最後の最後まで迷っていらっしゃった方がほとんどなのではないかと思います。一つの行動の選択で、こんなにも集団の心がざわめくことはあまりないかもれません。そんな状況を踏まえて、樋野先生がこんなお話をしてくださいました。

「雨が降った時に、傘をさすのか、レインコートを着るのかは自由意志だからね。選択が良き思い出をつくるね~」

 今回のことに限らず私たちは日々何かの選択をし続けています。それほど気にかけなくてもできる簡単な選択もあれば、迷いに迷い、判断を先延ばしにしたくなるような選択もあります。がんと共に生きることであったり、今のように新型のウィルスの出現で、これからの見通しを立てることが難しかったり、今後の人生や他者にも影響を及ぼす可能性のある選択は、判断までの過程がとても複雑です。その過程を踏んだ上での選択は、もうそれ自体が人生の思い出となり得るのだと思います。さらっと決められてしまうことは、良くも悪くも人生に思い出もインパクトも残しにくいのではないでしょうか。同じ状況を誰かと共有しているということは、一体感を生み出し、苦しいことも良き思い出に変化させる力があるかもしれません。

 今回、1800メートルの高地にある万座温泉で、樋野先生と企画者の市村雅昭さんや参加された方々が私に届けて下さったもの。それは、「樋野動物園=個性と多様性」の未来のヴィジョンそのものでした。

 ぜひ皆さまも天空の温泉 万座温泉日進舘へ足を運んでみてくださいね♪

ひまわり&パンダ担当🌻齋藤智恵美

第82回「心に咲く花会」誕生日お祝い会 &「樋野動物園」開設1周年記念 in 万座温泉 〜 品性を完成するにあり 〜

第82回「心に咲く花会」

誕生日お祝い会 &「樋野動物園」開設1周年記念 in 万座温泉 〜 品性を完成するにあり 〜

『2020年メデイカル・ヴィレッジ in 嬬恋村 がん哲学外来カフェin 万座 樋野先生お誕生日 (1954年3月7日)お祝い会 「がんと生きる言葉の処方箋」出演者 懇親会』(万座温泉 日進舘に於いて)に赴いた(添付)。 筆者は、wife と 車で、軽井沢駅から万座に向かった。 中軽井沢の星野温泉を通過した。 思えば、1921年 内村鑑三(1861年3月23日 〜 1930年3月28日)は、星野温泉の若旦那に『成功の秘訣10か条』を与えている。その第10条は「人もし、全世界を得るとも、その霊魂を失わば、何の益あらんや。人生の目的は金銭を得るにあらず。品性を完成するにあり。」である。 筆者は 若き日から これを暗記したものである。 1918年 新渡戸稲造(1862年9月1日 〜 1933年10月15日)は、軽井沢通俗夏季大学の講義に赴いている。

軽井沢は、1870年以降 海外からの宣教師達の避暑地となっている。『「軽井沢は江戸から2日間」の旅でいける』と書かれている。 1881年「中央部及び北部日本旅行案内」(イギリス公使館通訳)には、「標高3270フィートで、夏は冷涼、蚊がおらず、平地の不健康な暑さから 逃れる場所として推薦できる。― 周囲には散歩や 登山などに 適した場所である」(イギリス公使館通訳)であったようである。 万座温泉 日進舘は、標高約1800メートルとのことである。 夕食会 (樋野先生お誕生日お祝い会) では、元群馬大学長 鈴木守先生、第9回がん哲学外来市民学会 大会長 片山和久先生(伊勢崎市民病院 外科部長)が挨拶して下さった。 東京、長野県からも、多数の参加者であった。 夕食後、ロビーでの講演会『「樋野動物園」開設1周年記念講演会』で、講演「個性と多様性」をする機会が与えられた。 2次会も、「Medical Village構想」で、大いに盛り上がった。翌日は、「がん哲学外来カフェ in 万座」で『「樋野動物園」開設1周年記念お祝い』が、企画されている。 今回は、雪の万座での、人生の忘れ得ぬ 良き想いでとなる 旅となった。

第79回『一億本の向日葵』~こんなときこそ小さな喜びを集めて~

第79回『一億本の向日葵』

~こんなときこそ小さな喜びを集めて~

 ふとご近所さんのお庭で福寿草が咲いているのを見かけました。強い風が吹く日もあって、春が足音を立てながら、近付いてきているのを感じます。そんな浮足立つ気持ちはありつつも、世間はとても慎重に、慎重に、日々を営んでいます。各地で予定されていたメディカルカフェも中止を余儀なくされていますので、きっと一人の時間や限られた人との時間が、否応なしに多くの方に届けられているのではないでしょうか。

そのようなことを想像していましたら、樋野先生の言葉の処方箋が浮かんできました。

「いばらの道、されど宴会」

「小さなことに大きな愛を込める」

今がいばらの道だとしたら、宴会は何だろう?大きな愛を込めることができて、私にもできる小さなことはどんなこと?それらを自分に問いかける前に、私はこの週末に、母に布マスク頼まれていることを思い出しました。初めて作るので、インターネットで型紙を探して、作り方を調べることから始めました。残っていたガーゼに生地をうまく組み合わせながら、作り上げてく作業は予想外に楽しい時間でした。一つ一つミシンで縫って、アイロンをかける。「これで病原菌は近づけない」と呪文のように心で唱えながら。細かなことに集中する時間は、それだけで頭と心が休まりました。「小さなことに大きな愛を込める」というのは、誰かの為のようでいて、実はその時の自分の時間に集中し、自分に、その行為に、愛を込めているのだと、改めて言葉の真意を知る機会にもなりました。

そして、この『一億本の向日葵』を書き始めるまで気が付きませんでしたが、私はたっぷりと宴会の時間を作っていました。それは、音楽です。私は同じ曲を何度も何度も嫌になるほどリピートしながら、イヤフォンで聴くのが大好きで、誰にも邪魔されない何とも楽しく気持ちのいい宴会の時間でした。一日中家の中にいると大したことはできないかもしれませんが、自分を安心や喜びへ導くものがちゃんとあることを再確認しました。コロナウィルスが混乱や不安を招いたとしても、どう頑張っても、こういったささやかな喜びまでは脅かせません。それはいつもすぐそばにあるのだから。

ひまわり&ぱんだ担当🌻齋藤智恵美