第46回『一億本の向日葵』~自分の存在に価値を感じることができなくても~

第46回『一億本の向日葵』

~自分の存在に価値を感じることができなくても~

長引く梅雨に、お日様が恋しくなる今日この頃です。毎日日記に気温を書いていらっしゃる方に、今年と去年の今頃の気温の違いをお聞きました。昨年の同じ日と10℃以上も違う。一日一日を生きる私たちにとっては、この温度差は大きいですが、地球が過ごしてきた長い時間でみたら、一定の温度変化のリズムを刻み続けている一部に過ぎないだろうなと、ふと思いました。

私は今年のはじめの『一億本の向日葵』の中で、「“自分だけ”例外を外す」について書きました。誰かの事をとても大切に想う、かけがえなく想う一方で、自分の事はそこまで想うことができない、メディカル・カフェで出会う方々の一年・一月・一日・一秒が、とても重みを帯びて感じられるのに、自分の事になると急に分からなくなってしまう、人は誰しも、生きているだけで、そこにいるだけで、価値のある存在だとわかっているのに、自分の存在の価値はすぐに見失ってしまう・・。なぜこんなにも、“自分だけ・・・”例外にしてしまうのか、自分だってその“誰か”の仲間に入れればいいだけなのに・・・、と思います。答えが見つからないこの問いに、一人の女性がこう答えてくれました。「自分の価値は自分で決めなくていい。例えあなたが自分には価値がないと感じていても、必ず誰かがあなたの価値を見出しているのだから。」と。力強くそうお話してくれたその女性のお名前は中村美幸さん。20年前、生後500日の息子さんをとても小児がんで亡くされています。その経験の中から感じたこと、完全付き添い看護をしながら、共に過ごした子どもたちが教えてくれた”本当の幸せの在り処”について、まるでそこの空間が目の前にあるように、子どもたちの息づかいが聞こえるように、丁寧にお話をして下さいました。その中で、「少しずつできていたことができなくなって、母乳も飲めなくなり、ベッドに横になったままの我が子が、自分の中の、無限に広がる愛情の泉を掘り当ててくれたのだ」と、お話して下さいました。そのお話は、治療中に今までできていたことができなくなり、社会の中での役割を果たせない自分に価値を見出すのが、とても難しく、辛く感じた時の当時の私と重なるようでした。私のできない部分を補ってくれた人がいたこと、私に会いに来てくれた友人がいたこと、治療を施してくれた人がいたこと、毎日食事を作ってくれた母がいたこと、お金を工面してくれた父がいたこと、千羽鶴を折ってくれた祖母がいたこと、息子を安心して預けられる保育園があったこと、それぞれの人から、「力になりたい」という愛情を引き出していたのは、私の存在そのものだったのだと、初めて失ったものから、受け取ったものへと視点を移すことができました。私たちは、失った分だけ、受け取っている。

『あなたはそこにいるだけで価値のある存在』(樋野興夫著 KADOKAWA発行)の中で、樋野先生が言葉の処方箋として伝えてくださっていますが、自分の体感として受け取ることができた瞬間でした。

病床にいても、誰かを元気づけることができるのは、頑張っている姿が励ましになるからだけではなく、その人の愛情を引き出すことができるから、かもしれない。きっと病は、そんなチャンスを運んできてくれていると思うのです。ならば、私はぜひ受け取り上手になりたいと思います。

ひまわり担当🌻齋藤智恵美

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