第88回「心に咲く花会」勇気と冷静 〜 人生の味 〜

第88回「心に咲く花会」

勇気と冷静 〜 人生の味 〜

コロナショックの時、いろいろな分野の方から、「言葉の処方箋」を さりげなく、打診される機会が多くなった。不思議である。

「人生いばらの道、されど宴会」(『いい覚悟で生きる』小学館 14ページ & 『人生を変える 言葉の処方箋』日めくり 9)も語った。「心がけにより 逆境も 順境とされる」(新渡戸稲造:1862-1933),「全力を尽くして、あとのことは 心の中で そっと心配すれば 良いのではないか。 どうせ なるようにしかならないよ!」(勝海舟:1823-1899)の実践ですねと! 「無邪気に、喜んで 小さなことに 大きな愛を込めた『アルプスの少女ハイジ』(作家:ヨハンナ・ シュピリ)、ヨハンナ・ シュピリ(1827-1901)が こよなく 敬愛した作家:ゲーテ(1749-1832)の「涙とともに パンを食べた者でなければ 人生の味は分からない」の言葉も、「がん哲学外来」の心得ですねと! 「人生いばらの道、されど宴会」の原典は、「悩む者には 毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には 毎日が宴会である。」(箴言15章15節)である。

下記の蔓延化の気配も 出始めているのでは なかろうか!

(1)感情的な主張

(2)科学的論拠の希薄さ

(3)正義感や義憤に基づいた主張

今こそ、「純度の高い専門性と社会的包容力 = 賢明な寛容性 = 正論より配慮」の歴史的出番であろう!

変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。 そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。

ニーバー(1892-1971)の祈りが、鮮明に蘇る日々である。

第85回『一億本の向日葵』~表もあり、裏もある~

第85回『一億本の向日葵』

~表もあり、裏もある~

今、社会の安定的な側面がガタガタと音を立てて崩れ、変化しています。医療や教育、仕事、社会的な補償など、今まで当たり前だと思っていたものが、実は大きな恩恵であったことにも今さらながら気づきました。日頃、特に問題もなく過ごしていた頃には気づかなかった些細なことが、気になり始めた方もいらっしゃるのではないでしょうか。表ばかりを見ていればよかったけれども、裏の面も浮き彫りになってきた。私自身もここ最近、私の内面の中でその葛藤を感じておりますが、表裏一体という言葉があるように、表もあり裏もある自分と向き合う時間でもあると思っております。

 樋野先生は、新渡戸稲造の言葉「順境と逆境」についてお話されることがあります。逆境という言葉は、私も比較的使い慣れていて、イメージもしやすいのですが、順境という言葉は日常的には使いませんし、逆境ではない状態という、かなり大まかなものしかつかめない気がしていました。では、今の私たちを取り巻く状況は、順境なのでしょうか?逆境なのでしょうか?今の状態を点で見るのであれば、逆境だと感じる方が多いのではないでしょうか。しかし、何十年、何百年の単位で見たら、逆境かどうか分かりません。順境か逆境かの判断には、時間軸の点だけではい、線での判断が大きく関わってくるのだと思います。そうしますと、結局、順境もなければ、逆境もないことになります。樋野先生のご講演のスライドの中で、扇型の図が出てきますが、点である今の自分たちの決断が、将来扇型のように大きく作用してくるのだと、私はその図を解釈しております。今の時点で逆境だと思われている事柄を、未来の順境にするために、私たちが今できることは何なのか?私も日々考えております。一つは、今までの形に拘らないこと、今まで受けていた恩恵に感謝をして、手放すことが大事なのではないかと思っております。がんを患ったこともそうですよね。どうあがいても、がんになる前の自分には戻ることが出来ませんが、健康が保たれていた今までの人生に感謝し手放す。そして、がんになる前よりも素晴らしい自分になる道を選ぶことはできます。逆境を順境に変える力を未来に託すことはできます。

 樋野先生の言葉の処方箋は今、がん患者さんだけでなく、社会のニーズになっています。扇の点である今だからこそ、言葉の処方箋を単なる慰めでなく、力に変化するのだと思います。

ひまわり&パンダ担当🌻齋藤智恵美

第87回「心に咲く花会」 『医師の3か条』 〜 勝海舟・高橋是清・クラーク 〜

第87回「心に咲く花会」

『医師の3か条』 〜 勝海舟・高橋是清・クラーク 〜

コロナショックで、ビデオ収録の講義『発がん機構総論』(聴講者ゼロ)に赴いた。 地平線の向こうを見ての心構えである。「勝海舟記念 がん哲学外来」のスタッフで「渋沢栄一記念 がん哲学外来」の代表である 勝海舟研究家の 江川 守利 氏 から下記が送られてきた。

『今日の新聞朝刊に国際通貨基金(IMF)が1930年の大恐慌以来の経済後退とありました。 昭和の恐慌で思い出すのがダルマ宰相の高橋是清ですね。 実は高橋是清は若い頃に勝海舟に会っていて、その頃の高橋是清は書生みたいなものですから明治政府の参議兼海軍卿になっていた勝海舟になんか会えるのかと思って氷川の勝海舟邸に行ったら、玄関口に勝海舟がひょこっと表れて最初はお手伝いさんかと持ったら本人だったのでびっくりしているんですね。 そのことは高橋是清自伝に載っています。 この出会いは高橋是清にとって昭和恐慌を乗り切るうえで大きな力となったでしょうね。 氷川清話に「世の中は議論ばかりでは行かない。実行が第一だ。国が乱れて来たら、誰がこの日本を背負うだろう。国が乱れると、金が入用だから、今のうちに金を貯えるのが大切だよ。 しかしあまり急ぐと邪魔が出るから、いつ松を植えたか、杉を植えたか、目立たないように百年の大計を立てるが必要さ」とありますね。 今大変だからこそ慌てずに百年の大計を立てるーこれが勝海舟の姿勢で、その姿勢を高橋是清は学んだからこそ昭和恐慌を乗り切ることが出来たのではないでしょうか。正に今このような人物が必要なのですね。』

 また、「がん哲学外来さいわいカフェin茨城・筑西 」代表 海老澤 規子 氏からは、チューリップの写真と『日めくり:人生を変える 言葉の処方箋』(添付)が、送られてきた。 さらに 三鷹ネットワーク大学の「がん哲学外来・ピアカフェ」代表 酒井 久実代 先生から、協働研究結果報告書の図が送られて来た(添付)。 本当に、皆様の心意気と熱意には、大いに感激した。 2013年の筆者の『編集後記』の『医師の3か条』が、鮮明に蘇って来た(添付)。今日は、クラーク博士の「ボーイズビー アンビシャス デー」(1877年4月16日)とのことである。 人生の不思議さを実感する日々である。

第84回『一億本の向日葵』~季節は巡る~

第84回『一億本の向日葵』

~季節は巡る~

4月6日は息子の小学校の始業式でした。時間短縮ではあったものの、久々にお友達と会えることに喜びながら張り切って歩いて行った息子。昨年のこの日、息子は、いろいろな不安や期待を抱えながら、かわいい子供用スーツに身を包んでいたことを思い出しました。当たり前のように進んでいた毎日と、巡った季節が、再び長期休校となった子供の姿を見ながら、夢のようだなと思いました。今、私の住む松本は桜が満開です。我が家から50メートルも出れば、薄川沿いの長い桜の並木道です。桜と言えば、“美しさ”と“儚さ”の象徴のような花ですが、大病を患い残りのいのちの時間を想うときに、「来年の桜はみれるかな」と想いを馳せる方もいらっしゃると思います。例年に比べたら、ひと気の少ない並木道を息子と手を繋いで歩きながら、私は生まれて初めて、桜の花の香りに導かれて、花に自分の鼻を近づけました。柔らかなとても優しく甘い香りに私はうっとりしましたが、息子は「桜もちのにおい。でも桜もちはあんこが入ってるからきらい。中がチョコならいいのにー」って何とも子供らしい感想を言っていました。今年の桜は、きっと今まで以上に、そして多くの方にとって特別なものになったんだろうと思います。少なくとも私にとっては、今までの人生の中で一番印象に残る桜になりました。

日常生活が一時停止の状態が続き、自分や家族、身近な人のちょっとした体調の変化にも敏感になる日々。今まで目に留めることがなかったものや、考えることのなかった事柄、自分の仕事やこれからの生き方。そういったものについて、関心や想いを寄せる意味が、今この時間にはあります。今まではがんなどの大病、人生を大きく変え得る何かを経験した限られた人が一人孤独の中で向き合っていたそれらのことが、全国民の共通の関心事になりました。それは、この社会がやさしく、かけがえのない、温かな時間を取り戻していく大きなきっかけになるのではないかと思います。でも今は、コロナウィルスに感染された方の回復と、感染の抑制を願います。

ひまわり&パンダ担当🌻齋藤智恵美

第86回「心に咲く花会」大変な作業を、丁寧に 正確に 〜 「知識は 秘蔵するものに あらず」 〜

第86回「心に咲く花会」

大変な作業を、丁寧に 正確に 〜 「知識は 秘蔵するものに あらず」 〜

シロクマ (polar bear) の親子の写真が 息子から送られて来た(添付)。 まさに、「癒しの写真」 である。「睦まじき親子が一番」(新渡戸稲造)の言葉が蘇って来た。 筆者の父親は、船乗りで、不在であったので、母親に負われ、診療所に行った幼い時のことが、鮮明に思い出された。 人生は、不思議である。

「緊急事態宣言を受けて、――。 先人の 生きてこられた大変な時代を思います。 樋野先生の ご著書は 支えになります。」との、励ましのメールを 京都府の在住の方から頂いた。 大変 勇気が与えられた。 筆者が、浪人時代を過ごした 京都の写真も、大変懐かしく思った。 千葉県に在住の方からは、「樋野先生の著作集の 改訂版を作成しましたので、ファイルを添付させて頂きます」とのメールが送られて来た(添付)。 これ程の大変な作業を、丁寧に 正確に してくださることに、ただただ 感謝のみである。 2003 〜 2020年(17年間)30冊 発行した ようである。 2003年とは、筆者49歳の時、丁度、癌研の実験病理部長から、順天堂大学医学部の病理・腫瘍学の教授に就任した年である。 階段を 一歩一歩登る如く、人生は、不連続の連続性である ことの実感である。 

著作は、「知識は 秘蔵するものに あらず: 知識思想は 天よりの預かりものならば、一人一家の 秘蔵すべきものではない。 あまねく 世界に 提供すべきもの。 すなわち 衆生一般とともに 楽しむもの」(一日一言 五月二十八日;新渡戸稲造)の 実践では なかろうか!

第83回『一億本の向日葵』~今、ここ、手元に手繰り寄せる~

第83回『一億本の向日葵』

~今、ここ、手元に手繰り寄せる~

テレビをつけると否応なく飛び込んでくる新型コロナウィルスのニュース。今は症状や対策のことよりも、営業自粛による経済や個人生活への影響や、国の対策についての世論が多く取り上げられているように感じながら、私はテレビのワイドショーをボーっと見ていました。この背後には、自分も含めて今生きている全ての人がいます。全く影響を受けない人はいない状況で、影響の受け方は人それぞれ、大きさも形も違っています。この大きな波に飲み込まれている感覚を、こんなに広い地域で、こんなたくさんの人が同時に感じることは、私にとっては初めての経験です。

大きな波に飲み込まれている中で、自分や自分の身近な人が心を落ち着けて生活を営むためにできることってなんだろうかと考えてみました。私には社会とか、遠くの人にまで意識の範囲を広げる度量がありませんので、まずは自分から、そしてすぐ隣の人、またその隣の人という風にジワジワ心の落ち着きを広げていく方法が合っています。私の心のざわつきは、身近な人へと伝播します。その反対に私の心の落ち着きや安心も、身近な人に伝播します。そのことを考えると、自分の状態を整えることが、実は最優先事項ではないかと思っています。自分の状態を整えるためにできることってどんなことがあるのでしょうか?これこそ人それぞれ違いがあることは間違いないのですが、一つだけ大きな共通点があります。それは、「今」「ここ」「手元」です。樋野先生が良く「過去のことを思い煩っても、明日のことを憂いても・・・」とお話をして下さいます。安心は過去にも未来にもなく、今ここ、自分の手元にしかない。やらなければいけないことに埋め尽くされた忙しい毎日の中では、「今」「ここ」「手元」なんて流暢なことは言っていられなかったかもしれませんが、強制的にペースを落とさざるを得なくなった状況がそれを可能にしてくれます。例えば、今、私がこの文章を書いているそばで、息子は任天堂SWITCHというゲームをやっています。彼の未来を憂いていると「勉強しなくなったらどうしよう」や「目が悪くなったらどうしよう」など、私の中に波風が立ちますが、「今」「ここ」は安心で幸せな時間です。その今を積み重ねてもいいのかもしれないと思うのです。

4年ほど前、あるワークショップで、私は「大ウソつき大会」というゲームに参加しました。自分のことについて「私は・・・です。」という大ウソを、考えずに直観に任せて、順番にボンボンと出していくゲームです。それが何の役に立つのか当時はわかりませんでしたが(笑)、自分でも意識していない言葉がいっぱい出てきてとても面白かったのを覚えています。

「私は木の上にいるナマケモノです。私は忙しそうな人の時間をスローモーションにします。」

これは実際に私の口から出た大ウソです(笑)今でもナマケモノは私の大好きな動物ナンバー1ですが、そんなことを言い出すファンタジーな自分に笑ってしまいました。でも、あながち間違いではないとも思います。目まぐるしい毎日から考えると、スローモーションの方が「今」「ここ」「手元」の幸せに目が向きやすいですから。

それでは、皆さま、思いっきりスローモーションの時間を楽しんで、喜びを見つけてください♪ナマケモノより。

ひまわり&パンダ担当🌻齋藤智恵美

第85回「心に咲く花会」 「愛と思いやりの表現」〜 握手しているイラスト 〜

第85回「心に咲く花会」

「愛と思いやりの表現」〜 握手しているイラスト 〜

筆者は、「1人、部屋で 静かに1時間読書する 習慣をつけよ!」と 若き日に学んだ。 その教えが、「コロナ ショック」で、行事予定が中止や延期が相次ぐ中、生きている。 筆者と、勝海舟、新渡戸稲造が 握手しているイラスト、それに神谷美恵子も 加わったイラストが、浅草の薬剤師から 送られてきた(添付)。「愛と思いやりの表現」には、大いに感動した。 神谷美恵子は、齋藤智恵美 代表を彷彿させた。 1860年代遣米使節団 (勝海舟らが 居た) が、 ニューヨークの ブロードウエイを行進した。 彼らの行進を見物した 詩人ホイットマンは、印象を 「考え深げな黙想と 真摯な魂と 輝く目」と表現している。  この風貌こそ、現代に求められる 「学者の風貌」 でなかろうか。 

筆者は、「日本国のあるべき姿」 として 「日本肝臓論」を展開している。 日本国 = 肝臓という 「再生」論に、行き詰まりの 日本を打開する具体的な イメージが 獲得されよう。 人間の身体と臓器、組織、細胞の役割分担と お互いの非連続性の中の連続性、そして、傷害時における 全体的な 「いたわり」 の理解は、世界、国家、民族、人間の在り方への 深い洞察へと 誘うのであろう。 「日本の傷を医す者」 (矢内原忠雄: 1945年12月23日の講演) が蘇った。 政治家にして医師のセンスを 兼ね備えるのは 至難のことである。  しかし その稀有の例が 過去の日本にもいた。 後藤新平 (1857-1929年) である。 1882年、岐阜で暴漢に襲われ 負傷した板垣退助を 医師として手当し、板垣退助に 「医者にしておくには惜しい。 政治家になれば、かなりのものに なるであろうに」 と 言わしめた後藤新平は 実際、関東大震災後の東京復興の壮大な ビジョンを描いたリーダーとして 「理想郷を作りたいと願う熱い思い」 を持ち 「行動する人間」 であったとのことである。 後藤新平は、新渡戸稲造を いろいろな局面で 抜擢した人物でもある。

「時代を動かすリーダーの 清々しい胆力」 としての 「人間の知恵と 洞察とともに、自由にして 勇気ある行動」 (南原繁著の「新渡戸稲造先生」より) の文章が思い出される 今日この頃である。 「最も必要なことは、常に志を忘れないよう 心にかけて記憶することである」(新渡戸稲造)。 高らかに理念を語る 「小国の大人物」 出でよ!

第82回『一億本の向日葵』~淀みなく流れる~

第82回『一億本の向日葵』

~淀みなく流れる~

今日は3月の松本がん哲学みずたまカフェの日でした。外出自粛ムードの中の開催は、とても勇気がいる決断でしたが、感染拡大に気を付けながら、小規模でも開催できたことやこのご時世だからこそ語られることに、大きな意味があったように思いました。私が今回の開催の決断に至った理由に、過去の出会いがありました。20代前半の頃勤めていた障害を持った人が過ごす施設でのことです。私よりも少し年の若いMさんは、進行性の病により、自由に動かせるのは手先と首より上という障害を持っていました。体に制限はあっても、クリスマスのデートなど、年相応に色々なこと興味を持っていましたし、プロ野球チームの中日ドラゴンズが好きで、いつか試合観戦に行きたいとよく話していました。しかし、体に重い障害のあるMさんにとって試合会場までの長距離移動は、リスクや負担が多いこともあり、なかなか実現せずにいました。施設の一職員であった私はいざとなったら、全力で応援しようと思っておりましたが、その願いは叶わぬまま、Mさんは旅立ちました。「一緒に叶えたかったな・・・」というのが、私の正直な思いです。肉体的な命を守ることももちろん大事だと思っていますが、人間それだけではなりえないとも同時に感じています。「今」がこの瞬間にしかないこともあり得るのです。今あるいのちの声に耳を傾けたいというのが、矢面にたってもいいと、開催に至った理由でした。

不安による集団行動の真意や、マイナスな出来事のプラスの側面、節目の大切さ、曖昧に終わってしまうことの弊害、たくさんの人が命について考える機会になっている、面会ができないことで止まる時間、新しいコミュニケーションから生まれる発見、などなど。今までのがん哲学カフェとまた違った視点での対話が進みました。堰き止められていた思いが、淀みなく流れる・・・そんな印象でした。水も血液も淀みなく流れることはとても大切だと思いますが、私たちの生きる社会でも、心理的側面でも、淀みなく流れることがとても大切に思われました。これはリスクを恐れず対面でという意味ではありませんが、滞留には必ず淀みが出ます。その淀みが濃くなると、きれいな状態にするのにはそれなりに時間や努力が必要になります。こんな状況だからこそ、どんな方法でもいいので、淀みなく流せる環境が必要ではないかと思いました。このような時間を共有できましたことを、心から感謝しています。

今日は私の38回目の誕生日でした。素敵なお花とカード、笑顔のプレゼントを頂き、とても嬉しい時間となりました。また樋野先生とJeanさんからのお祝いメッセージ&内村鑑三の命日が70年前の今日であったことで、「🐼は内村鑑三の生まれ変わり」という樋野先生からの驚くべきメッセージにも、笑顔が溢れました。みなさま、本当にありがとうございました!頑張って生きたいと思います。

お隣は樋野動物園🐋担当の石塚眞一さんです。退職祝いです!

ひまわり&パンダ担当🌻齋藤智恵美

第84回「心に咲く花会」『逆境を超えてゆく者へ』 〜 人は意志なり 〜

第84回「心に咲く花会」

『逆境を超えてゆく者へ』 〜 人は意志なり 〜

筆者は、今週は、授業『がん学(Basic): がん、発がん、病理学』のビデオ収録を 教室で 1人で行なった。 その後、筆者が、委員長を務める 「第83回 アスベスト中皮腫外来 推進委員会」に、出席した。 2005年「クボタ ショック」(兵庫県尼崎市)から 今年(2020年)は 15年が経過した。 2005年 順天堂大学で、週一回の「アスベスト・中皮腫 外来」を開設した。 現時点では、初診数、再診数 合計7000人 を超えている。 継続の重要性を痛感する日々である。 アスベスト暴露から、潜伏期の長い中皮腫は、現在 全国的に増加している。

国立ハンセン病療養所の長島愛生園に通い 「精神科医:神谷美恵子の実践」についての研究を 進めらている先生から、『樋野先生は、2012年長島愛生園に来られ、「神谷美恵子記念ガン哲学カフェ」を ご講演、哲学カフェを 開催してくださいました。 長島愛生園ではそれから継続して、今も「愛カフェ」として、月に一回、入所者の方々と 外部からの人との 交流の場となっております。 2014年には 岡山市民会館大ホールにて、「神谷美恵子生誕100周年記念」が開催されました。そのおりには 樋野先生、故 日野原重明先生、神谷美恵子次男の神谷徹さんの鼎談などが行われて、1200人の満席の会場にて 神谷美恵子を忍びました。 ちなみに 神谷美恵子の両親の仲人が 新渡戸稲造であり、樋野先生とは深いご縁があります。」と説明され、それを受け取った方は、『2014年、私も 岡山市民会館での講演会に、参加致しました。日野原先生は、ご講演のお時間中ずっとお立ちになって。樋野先生が「すごいです~~ね」と コメントされていたのを覚えています。 二人で斜めになって座っている絵も、会場、笑の渦でしたね。』 と 返答されたようである。 心温まる 微笑ましい ユーモア溢れる会話である。 2020年7月 京都市の立命館大学の国際平和ミュージアムで「長島愛生園の展覧会」を開催されるとのことである。

今は、「コロナ ショック」である。 「コロナ ショック」で、行事予定が中止や延期が相次ぐ。 それゆえに、筆者も、久しぶりに 新渡戸稲造 著『逆境を超えてゆく者へ』、矢内原忠雄 著『銀杏のおちば』、勝海舟 語録『氷川清話』を 拝読する時間が 与えられた。 まさに、『一喜一憂せず、「綽々たる余裕」』(勝海舟)の学びである。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である」(ヨハネ黙示録21章5節)の 再認識の時ともなった。 今度、齋藤智恵美 代表による 講演会『がん哲学のレッスン 教室で <いのち> と向き合う 〜 人は意志なり 〜』が、企画される(添付)。乞うご期待である。

第81回『一億本の向日葵』 ~細胞、人間、社会~

第81回『一億本の向日葵』

~細胞、人間、社会~

私は「がん哲学」という言葉と同時に、樋野先生の著書「がん哲学改訂版~がん細胞から人間社会の病理を~」に、出会いました。自分の体の中にがんが見つかってから、がんに関するいくつもの本を読み漁りましたが、明らかに視点の違うこのご本に、衝撃にも似た安堵感を覚えました。悪者の悪いところを指摘して、いかに排除するか。そんな視点が多い社会に息苦しさを感じていた私は、樋野先生によって語られるがん細胞の姿が愛おしくさえ思えました。

3月20日の春分の日に、私はインターネットを活用したオンラインのメディカルカフェ開催のために、松本市の自宅から2時間ほどの駒ヶ根市にある駒ヶ根パノラマ愛の家に向かいました。本来であれば、駒ヶ根がん哲学外来心晴カフェの開設記念として、ドキュメンタリー映画『がんと生きる 言葉の処方箋』上映と樋野先生のご講演を実施する予定だったこの日ですが、やむを得ず延期の判断をして、オンラインでのメディカルカフェ開催にチャレンジをすることとなりました。パソコンの画面と音声を通して感じられたものは、想像以上に広がりがあり、これからの一つの可能性を参加して下さった方々と共有できたことは、大きな実りとなりました。さて、その日の朝7時に自宅を出発して車を走らせていた時のことです。ふとあることが私の頭をよぎりました。それは「私ががんになったのは、社会でがん細胞的な役割を思い出すためだったんじゃないか」ということでした。自分でも驚きながら、でも腑に落ちた瞬間でもありました。目的を見失ったがん細胞は体という社会を蝕みますが、目的を見定めて、がん細胞のように、自分でエネルギーを作り出し、その場に順応しながら、地道に自分たちの社会を作り上げることが、私たちにもできるのだと何かをつかんだ気がしました。樋野先生は「がん哲学」中で、「宣教師はがん細胞になれ」と書かれています。私は宣教師ではありませんが、そういった気持ちで生きることはできます。悪と見なされがちながん細胞にも、見習う部分があります。私たち一人一人も、完全に良い、完全に悪い人間というのはなく、両方持ち合わせています。社会の在り方も本当はそうだと思います。良い面も悪い面も、その両方を見て見ぬふりをせずに、丁寧に見て、認めて、自分なりの目的を見定めるには、個性と多様性に寛容な社会や場所が大切になります。その日、私はそんな場所をこつこつと作りたいと思いました。

ひまわり担当🌻🐼齋藤智恵美